週刊 奥の院 8.1

■ en−taxi No.33 特集「マイ・リトルプレス、思い出の小出版社、そして雑誌」 
  扶桑社
 819円+税
 

 混乱→転換の時を迎え、気づけば、なす術を思考する指針すら見当たらない。
 シフトチェンジを求められているのは、出版界も同様か。
 そんな時代があった、という懐古ではない。
 リトルと言う字面で、見過ごしてもいけない。
 出版、雑誌、思想、時代の関連性と肝を再考するために――「リトルプレス」「リトルマガジン」とは何だったのか。

 坪内祐三  小出版社が「あった」、これからもあり続けるだろう
 坪内 対談  力ある編集者と文化的起爆力を持った、書き手の消失  
  第一部  リトルプレス小史編  明石陽介(ユリイカ編集)
  第二部  名出版社・小沢書店編  秋葉直哉(流水書房・ブックフェア「小沢書店の影を求めて」仕掛け人)
 高山宏   マガジニズムという「小さな」マニエリスム
 植山啓司  名編集者・中野幹隆との出会い
 樋口良澄  「リトル」の輝き――『現代詩手帖』の頃
 堀切直人  牧神社、北宋社で編集者をしていたころ
 常盤新平  大手出版社でなればこそ
 

 他、連載も豪華。重松清佐伯一麦小池昌代大竹聡(酒つま)、加藤陽子佐藤優などなど。
 
■ 後白河法皇編纂 川村湊
 『梁塵秘抄』 光文社古典新訳文庫
 781円+税
帯 “歌謡曲のルーツはここにある”
 11世紀後半から12世紀にかけて、京を中心に流行した「今様」。

……当時社会の下層民だった遊女や傀儡子などの芸能民が専らとした芸能を、天皇としては退位したものの事実上の政治力を保持し、権謀術数に長けていたといわれる法皇後白河院がまとめたものですから、日本の文学史上、文化史上で、きわめて異色……

 目次から。
 ギャンブラーの好むもの 
 わたしには やさしい あなた
 わたしは バカな 女です
 あなたが帰った わたしの部屋で
 ひとり港で
 マリーのひとりごと
 恋するふたりは ……

ひとつ紹介。
【原歌116】 女人五つの障りあり 無垢の浄土は疎けれど 蓮華し濁りに開くれば 龍女も仏になりにけり
【川村訳】 女にゃ 五つの罪がある 男をとろかす その声も 男をぬくめる その肌も 男をまよわす 愛嬌も 男を死なせる 冷たさも 男をくるわす やさしさも いまさら 観音さまには なれはしないけど 泥に花咲く 蓮(はちす)のように 女は いつかは 花になる
 法華経の説話を歌ったもの。女が男を迷わす五つの罪は川村さんが考えた。

7.31(日)朝日新聞神戸新聞の書評に紹介。
「朝日」田中貴子さん。
今様は「遊び」という要素なしには理解できません。我が身の不幸を歌い上げる藤圭子が、実際不幸かどうか関係ないと同じです。すべては「芸」のなせるワザなのですから。
「神戸」東えりかさん。
「今様」をまさに「今」にぴったりな日本語に当てはめてみた。するとなぜかムード歌謡や演歌のようになってしまったのだ。
「日本一の大天狗」後白河院、確かに今様が大好きだった。貴族の文化と庶民の芸能が「いったん“シャッフル”されるような文化的価値転換」が起こった時代。和歌や管弦が今様や猿楽・田楽の囃へ下降し、戯れ歌や民謡が貴族に上昇。猿楽・田楽が能楽として集大成されていく。
 庶民の芸能に精力を傾けた権力者・後白河院の心の中はどんなものだったのだろう。川村さんの解説ではこうだ。
 西行や兼好や長明などの出家者たちと「無常観において異なるところがない。後白河院は、まさに宮中という家を出て、俗世間、俗社会へと沈潜していったということだ」

(平野)新潮社の『波』が通巻500号。1967年創刊。表紙に創刊号が写っている。北杜夫大江健三郎小林秀雄円地文子野間宏江藤淳、の名が見える。