週刊 奥の院 7.23

■ 竹中労  没後20年・反骨のルポライター』 河出書房新社 道の手帖 1600円+税

 竹中労(1930〜1991) 労働運動からライターに。
 単行本未収録、『「赤線」とは何であったか?』 『読書遍歴』 『わが父・竹中英太郎 掲載。
佐高信鈴木邦男対談 「左右弁別すべからざる対話」
小沢信男 「過程に奮迅の人」
坪内祐三 「一九七三年の『キネマ旬報』で出会っていたのだが……」
他に、関川夏央塩山芳明朝倉喬司森達也水道橋博士石川浩司(たま)……。

 

 幼年時代――、私は本の虫であった。『プルターク英雄伝』『動物記』にはじまって、小学二、三年生 の頃には同居していた従姉の本棚から『日本文学全集』『世界戯曲全集』等を、手当りしだいに抜きだして読みふけり、ある日とつぜんニワカメクラの症状となり、固く読書を禁じられた。……山に登ったり竹刀をふりまわしたりする蛮行にやがて熱中し、強健無比の肉体と剽悍粗暴な精神を取得して、近郷近在隠れもなき不良少年となった。……一九四六年、なぜか私の入学した東京外事専門学校は、校舎全焼したまま受験だけを行い、合格者に一年休学を強制するという不思議なシステムをとった。甲府に帰って約半年間、図書館通いに明け暮れた。……「読書遍歴」

 竹中を知ったのは高校時代、テレビのオーディション番組(プロ・アマ問わず10週勝ち抜いたら、デビューのチャンスがある)の審査員。五木ひろし八代亜紀、中条きよしが勝ち抜いた。天童よしみとかウィリー沖山なんていう人もいた。南こうせつも出ていた。
 肩書きはルポライターだった。芸能全般、沖縄、アジアの話題にくわしかった。週刊誌でも名前を見た。トップ屋と言われていた。“怪しい”人だった。左翼の闘士とは知らなかった。討論番組で、テルアビブ空港乱射事件の赤軍兵士を称えたことを覚えている。「左翼の三馬鹿」というのは、後年知った。
 晩年「いかすバンド天国」でも審査員をしていた。
 今、著作で手に入る本は少ない。ちくま文庫で7冊出ているのだが、『ルポライター事始』と『完本美空ひばり』のみ。
 本書で多彩な活動の一端を。
(平野)