週刊 奥の院 6.26

◇ 河出書房新社が創業125年を記念して、旧作品を復刊。河出ルネッサンス
 既刊2冊。加藤九祚『完本 天の蛇』 モリス・クライン『数学の文化史』
 今月は書店物2冊。

■ アドリエンヌ・モニエ 岩崎力 訳 
『オデオン通り アドリエンヌ・モニエの書店』
 2600円+税 1975年初版。
 アドリエンヌ(1892−1955)パリ生まれ。1915年オデオン通り7番地に書店〈本の友の家〉(LA MAISON DES AMIS DES LIVERES)を開く。彼女の回想記。書店といっても、貸し出しと読書会が主、多くの芸術家が集まるサロン。
「訳者あとがき」から。

……典型的な《文学少女》が、父親の事故と第一次世界大戦という《幸運》に恵まれて、《オデオン通り》に本屋を開く。それがなぜ《幸運》であったかは、彼女自身誰よりもよくこの本の中で語っている(事故の賠償金、戦争ゆえの空き店舗)。結局《三十六年間この街にとどまり》、彼女は文字通り文学に身を捧げる。貸出文庫を兼ねた本屋の主人として一般読者の求めに応じるべくあらゆる善意と努力を惜しみなく注ぐ一方、彼女は彼女なりの文学的価値基準をもっており、生涯その原則と信条を貫き通したために、彼女の店は、ただ出版されるものを無差別に並べ、あるいは《パンのように売れる本》だけを扱う普通の本屋ではなく、時の作家や詩人たちがそこである位置を占めることに無関心でいられないような、特異な店になったのだった。

 本書に登場する作家たちをざっと。ジイド、アルトー、ミショー、プレヴェール、ラルボーブルトンベンヤミン……。
 本屋の仕事について。

……本を並べたり、包装したり、帳簿をつけたり……とにかく埃と書類にいつも埋まっているのである。
 そういうことすべてに慣れなければならない。というのもこの仕事は人をたくさん傭って手伝ってもらえるほど儲かる仕事ではないし、気に入った仕事をしてくれるのはひっきょう自分自身しかいないからだ。もっとも一度慣れてしまえば、別に苦にならない。むしろ苦役を一種の満足感をもって迎え入れるようにさえなる。それは償いの苦業のようなものであり、しかも進んで受け入れた苦業のもたらす利点をすべて備えていた。
 本屋という職業には、苦役を償ってくれるものがある。それは素晴らしい人たちが訪ねてきてくれることだ。作家たちあるいは造詣深い愛好者たちの訪問である。そういったときには、人生が輝きにみちみちたものになる。会話は彩り豊かになり、人は時として陶酔を憶え、あえぎさえ覚える。


■ シルヴィア・ビーチ 中山末喜 訳 『シェイクスピア・アンド・カンパニイ書店』 2600円+税
 74年初版。
 シルヴィア(1887〜1962)はアメリカ人。父は牧師で家族と共にパリに赴任、集会所に学生や多くの芸術家が集まる。
 彼女はアドリエンヌの店で意気投合。「書物友の会」の会員になる。1919年、アドリエンヌの助力を得て近所に英米文学専門店「シェイクスピア・アンド・カンパニイ書店」を開業。こちらにも多くの作家が集まる。22年ジェームス・ジョイスの『ユリシーズ』出版。その経緯の部分だけでも、20世紀文学の舞台裏を覗ける。エズラ・パウンド、ジイド、イェーツ、バーナード・ショウらの名が並ぶ。英語圏ではワイセツとの理由で税関が没収、ヘミングウェイの協力で予約者に届けることができた。
 41年ドイツ軍進駐でやむなく書店閉鎖。パリ解放の時、レジスタンと共にヘミングウェイがオデオン通りの書店解放にも大きな役割を果す。しかし、彼女は書店経営を引退。
昨年5月出版の『シェイクスピア・アンド・カンパニイ書店の優しき日々』(河出)の書店は、51年ジョージ・ホイットマンが「ル・ミストラル」として開業。かれはシルヴィアとも親交し、蔵書を買い取り、64年(シェイクピア生誕400年)に店名を改めた。
(平野)