週刊 奥の院 6.13

■ 張競 『本に寄り添う』 ピラールプレス 2500円+税
 1953年上海生まれ。華東師範大学助手を経て、86年東京大学大学院に留学。現在明治大学教授、比較文化論研究。『恋の中国文明史』(ちくま学芸文庫)『近代中国と「恋愛」の発見』(岩波)他著書多数。本書は98年から2010年に書いた書評・解説。
「書評をどう書くかについて、明確な基準というものはない。どの本を選び、どう批評するかは評者の自由裁量。評者の趣味、学識や教養を示すもの。評者が面白いと思っても、読者はそう思わないかもしれない。その意味では読書は恋愛に似ている」
「書評の目的は読者に読む気を起こさせ、本屋で購入させることである。しかし、それはそう簡単なことではない」
「書物は愛おしいものだ。そう言うのは決して誇張でも文飾でもない」
「書評についてさまざまな神話がある。五頁を読むだけで書評が書けてしまうような武勇談はときおり耳にするが、自分にはそんな離れ業ができようもない。それどころか、最後の一行まで読まないと、どのように書けばよいか見当もつかない。これまで三百冊を超す本を書評してきたが、書き馴れたと感じたことは一度もない。むしろ、文筆のマンネリ化を恐れ、書けば書くほど筆が進まないような気がする。つまずくときは、ただひたすら虚心坦懐に書物の声に耳を傾け、初心に戻って本と向き合うよう努めるだけである」
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「書物の歴史の中で、われわれはもっとも劇的な瞬間に立ち会っているのかもしれない。遠い過去に思いを馳せると、竹簡・木簡が消えて、紙が書写の世界を独占するようになった時代にも同じ激変が起きたのではないか。なにやら、古人たちの嘆きが聞こえてきそうな気がした。 そんなときに、本に寄り添い、興味のある書物について好き勝手に批評できるのは幸運だ」
 こちらを。http://www.pilar-edit.com/shop/products/detail.php?product_id=82
「書評」を簡単に考えてはいけない。チョロっとめくってパパッと書いて紹介するのはいけない。私のは「書評」じゃあござんせん。チョロチョロパッパで、すみません。ご飯を炊くみたい。
(平野)