週刊 奥の院

■ 和田誠 『五・七・五 交遊録』 白水社 2300円+税
 この人も多才、もちろん本書の装丁も。
  フミキリノマヘニナランダネギバウズ
 6歳の時に初めて作った句だそう。
 カタカナも旧仮名使いも絵本や漫画で自然に憶えた。季語は知らなくてもただ情景を書いたら俳句の形になっちゃったらしい。
 母方の親戚たちは、粋というか、軟派の人が多くて、俳句会をしていた。「我等が親戚句会」。冊子も作っていた。そのほぼ1年分が最近発見され、誠少年(幼年)の作品も掲載されていた。父親が投稿したよう。
  シロサイテアカハツボミノアザミカナ
 母の兄は古川ロッパ劇団の脚本家で奥さんは宝塚出身。おばあちゃんは誠少年を寄席や歌舞伎に連れて行き、江戸のことば遊びを教えてくれた。このおばあちゃんの連れ合いが趣味人で俳句に社交ダンス。
 父は築地小劇場の創立メンバーで、当時はラジオドラマの演出家、軟らかい。が、親戚は僧侶や教師と堅物ばかり。祖母(和田さんの書き方からして堅いイメージ)も元教師で誠少年に手習いをさせる。
 本書で自作を披露しながら、思い出が語られる。「俳句をおかずに思い出ばなしのご飯」と。
 デザイナー仲間とその仕事関係者たち、編集者、作家、俳優、放送局スタッフたち……、著名人が並び、今も続く交遊は昭和・平成文化史の一面といえる。
 高校時代の先生がユニーク。下宿に生徒たちが押しかけ酒盛り、教室ではできない話をしてくれる。ある夜、突然、
  面影の似たる女に会いし夜は 
 さあどう付ける? と訊く。七・七を付けよと。
 一同わけがわからず、ポカーン。
 先生、「膝小僧抱えて寝ちゃった、というんじゃ情けないだろう。そういう時はな……」
  廓をあげて騒ぐ寂しさ
「こういうのがいいんだ」
 一同まだポカーン。
 のち和田さん、先生の本を装丁してあげました。(平野)