週刊 奥の院

中井久夫『災害がほんとうに襲った時  阪神淡路大震災50日間の記録』 みすず書房 
1200円+税
 精神科医神戸大学名誉教授、ギリシア詩の翻訳でも有名。阪神淡路大震災当時は医学部教授。
 震災後50日間の精神科救急の現場の記録『1995年1月・神戸』(みすず)を復刊。「東日本巨大災害のテレビをみつつ」(『みすず』2011.4月号)も収録。
 作家の最相葉月さんが、中井さんの本が役立つと判断して、ネット上での無償公開を提案し実現、その結果復刊にもつながった。
 http://homepage2.nifty.com/jyuseiran/shin/shin00.html

 病院スタッフの役割、ボランティアの役割、薬品の不足時、そして医師・看護師たちも被災者であることにも気を配る。一部を抜粋してみる。
 1.17(火)地震。S病棟医長出勤、指揮。私在宅。関係者の安否確認。三人行方不明。うち一人、一家死亡をテレビによって知る。
 18(水)自宅に留まる。電話の洪水。最後の一人の健在を確認。
 19(木)郵便配送再開。S医長の車により初出勤。待合室に避難民三百人。救急部に精神科医出向し何でもこなす。病棟一巡、被災医師・ナース家族に挨拶。電話で遠距離患者に受診可能の場を伝える。通勤ルートマップ案出・配布。
 23(月)病院緊急臨床会議。自殺未遂患者発生。
 25(水)翌日より外来再開に決す。救助者への援助の重要なるに気づく。
 26(木)スタッフ、研修医に疲労の色濃い。
 30(月)各大学のボランティア続々到着。秘書が多数ぬいぐるみを買い集める。花とともに何かの時に持参するとよい。
 ……
 今回、メディアから東日本大震災阪神淡路との比較を問われる。

 実際、何という広い地域、何という徹底的な破壊、何という死者、行方不明者数。「災害は常に新しい」というけれど、まだは把握しきれない。たとえば初めて津波の顔をみた、それも真正面から。……こういう恐怖そのもの、襲いかかる八岐大蛇のような悪夢は神戸では格段に少なかった。

 ジャーナリストから何をすればよいかと訊ねられて答える。
・ 被災者の傍にいること。誰か余裕のある人がいてくれるのがありがたい。
・ 救護者の救護。人を助ける立場にある人の精神的ケア、食事などの補給。 
 優秀な人たちは頑張りすぎる。阪神淡路の時も「孤独なうちに自分しかいないと判断してリーダーシップを発揮」した同僚医師たちがいた。多くの人が早逝した。


「ルーエの伝言 39件目」 3.11 ふるえたこころ 特大号
 吉祥寺「ブックスルーエ」のPR紙、久々到着。「それぞれの3月11日。」が語られる。当店の赤ヘルも寄稿。 出版マンの田舎の祖父母が亡くなられたそう。悲しみは被災地だけではないことを知る。
(平野)