週刊 奥の院

金子兜太 『悩むことはない』 文藝春秋 952円+税
 1919(大正8)年生まれ、91歳。今も「朝日俳壇」の選者を勤める。
「まえがき」で大震災の被災者を思い、投稿句を選ぶ。
 生きていて生きているだけで燕来る (東京 飯田さん)
第1章 問われて答う (語り下ろし)幸せ、努力、豊かさ、仕事、師・友、寿命、戦争 他
第2章 生い立ち来たるところ (語り下ろし)生い立ち、糞尿譚
第3章 戦争と俳句 戦地で俳句と決別し、戦地で再び俳句に会う (文藝春秋クリマ 2010.5)
 

「なにをしても虚しいとき」
 朝っぱらからなんとなく虚しくて、なにをするのも嫌ということがある。生きていればそういうときもあります。私の経験では、それはたいがい体調がよくないときです。前の日の、飯の食い方に問題があったなんていうことが、結構ある。
 そういうときには体調を整えます。よく寝る。運動するのもよい。そのこと自体にこだわることはない。悩むことはないんだ。

荒蝦夷『仙台学 11 東日本大震災』6
星亮一 『福島からの報告』

 仙台生まれ、福島民報社福島中央テレビを経て作家。郡山市在住。http://www.mh-c.co.jp/
 この原稿までに県下と三陸地方を取材。
 

 避難した人々が故郷に帰ることは刻々、不可能になっている。それも一町村や二町村ではない。福島県は立県以来、最大の危機に瀕している。
 原子力発電所の大事故は、福島県のみならず、日本国の未来に暗い影を落としている。
 三陸津波の知識をもってすれば、原子力発電所の施設が津波に流され、放射能がもれる事故も防げたはずであった。……
 歴史を忘れてはならない。
 私が戊辰戦争にこだわり続けているのも、戦争の悲惨さ、同じ日本人同士が戦った愚かさを訴え続けんがためである。
 放射能汚染という未曾有の事故を前に、福島県民は打ちひしがれている。しかし、何とかこれを乗り越えなければならない。
 誰がどう言おうが、私は福島県を離れるつもりはない。
 この惨事を自分の目で見続けるためである。

三浦明博 『言葉に力はあるか』 
作家。宮城県栗原市生まれ、仙台の広告会社勤務から89年フリーに。2002年『滅びのモノクローム』で江戸川乱歩賞
 新聞の投書に励まされ、近隣の人たちに助けられ、親戚の行動力に驚かされ、友人から物資が届き……。
 

 人は信じるに価する。そういう人々が集まって体験や英知を持ちよれば、事態は少しずつでも必ず良くなっていくと思いたい。
 東京発信のマスメディアがこの震災のニュースを取りあげる機会は、少しずつ少しずつ減っていくだろう。仙台の、宮城の、東北の地に根を下ろす我々が、真の意味で踏ん張っていかなければならなくなるのはきっとそこからだ。簡単に諦めることをせず、粘り強く事にあたるのが私たちの特質である。瓦礫が浮かび、泥で濁った海にも魚は生きている。いましばらくの間は悲しみに暮れ、泣くだけ泣き、そして時々笑ったりすることのくり返しかもしれない。もしかするとこれから何年たっても涙がかわくことなどないかもしれない。でも群青に澄んだ海に戻り、平凡な日常だけれど心が安まる風景を見られるようになるのもそう遠くはないと信じたい。長い道のりかもしれないが、一日も早くその日が迎えられるよう願いつつ、模索し動いていこうと思う。

山折哲雄 『東北の魂は耐えて、震えている』 
 宗教学者。1931年サンフランシスコ生まれ。戦争中は母親の郷里花巻に疎開東北大学・大学院に学び、同大学助教授も勤めた。
 テレビの歌番組、東北出身の歌手が揃う。青森出身の歌手が道化役になって、主役を三陸沿岸出身のふたりに譲るように見える。山折は青森の歌手にヒット曲を歌ってもらいたかった。彼は「東京一極集中」を切実に、哀しく歌い、非難したのだった。テレビも電話も遊ぶところも嫁もいない、「こんな村いやだ」と。
 この大震災の名称は当初「東北地方太平洋沖地震」だった。いつの間にか「東北」「太平洋」が削られ「東日本」になった。

 ……こんどの巨大地震は、端的にいって「東北」そのものを直撃したのだということです。それ以外の何物でもない。そして福島原発の一部損壊による放射能汚染も、ほかならぬ東北の福島の心臓部に襲いかかったということにほかなりません。しかもその「東北」の原発が「東京」の電力をまかない、「東京一極集中」の虚飾にみちた反映を支えていたということであります。
 俺らこんな村いやだ――この吉幾三さんの痛烈な嘆きは、このような国家エゴ剥きだしの「東京一極集中」の横車にたいする、悲憤の叫びだったとあらためて思うのであります。
 いま私は、「東北」の魂が耐えて、震えているのを感じます。「東北」のいのちが、しずかに身じろぎし、日本に向かって、世界に向かって立ち上がろうとしている気配を感じています。

山川徹 『「復興」なんて誰がいった』
 山形県上山市生まれのルポライター
 当日は東京、14日に仙台に入り「荒蝦夷」に合流して被災地を回る。
 ひしゃげた自動車から漏れたガソリンの臭いと焼けた瓦礫の焦げ臭さ。
 いまは「平気な貌」をしている海が襲ってきたという「想像できない現実」
 家族の遺体が見つかった人に「よかったですね」と繰り返すことしかできない。
 遺体が見つからずに泣き崩れる人。
 皆の生の声を記録する。
 

 まだ1ヶ月。人と家がこれだけ流されて、町が破壊されて、余震が続き、壊れた原発放射能をまき散らしている。そんな状況なのに平気な貌をした街では、「復興」という言葉が繰り返されて、むなしく響いている。
「復興」なんて、いったい誰がいったんだ。

吉田司 『ハロー、ハロー、こちら非国民』 山形市生まれ。作家。
「挙国一致の『がんばろうニッポン』の総動員体制が大っ嫌い。一個の非国民でいたい」
 戦争でアメリカの原爆に敗れ、核の傘の下に入り、震災でアメリカモデルの原発事故、その結果アメリカ海軍の「トモダチ作戦」。原発大国フランスからも大統領とCEOが来日。
 大地震津波の復旧支援は日米同盟管理下、原発は米仏の共同管理下に入った、と。
◇ヨソサマのイベント
成田一徹・切り絵展 5.8(日)〜6.5(日)月曜日休館 10:00〜17:00 三木市立堀光美術館 入館料:一般200円 大・高100円 65歳以上半額、中学生以下無料

(平野)