週刊 奥の院

小野原教子 『闘う衣服』 水声社 4500円+税
 先日紹介した『共同研究 ポルノグラフィー』にも登場した方。兵庫県立大学准教授。
序論  人間は衣服を着る動物である
Ⅰ 1 ファッション雑誌の読み方  (ロラン・バルト『モードの体系』解読)
  2 ファッション雑誌で日本を読む  (『ヴァンサンカン』分析)
Ⅱ 3 コレクションを読む  (この章、イギリスのデザイナー「ヴィヴィアン・ウエストウッド」の作品とファッションショーについて)
  4 コレクションとストリップ・ティー
  5 アングロマニア
Ⅲ 6 服を着て闘う  (日本のプロレスラーのコスチューム 女子プロレス中心に)
  7 女子プロレスとポルノグラフィー   (『共同研究〜』と同じ論文)
  8 プロレスをつくった男のコスチューム  (力道山のタイツ)
  9 闘う着せ替え人形  (コスプレ・レスラー)
Ⅳ 10 ゴシックロリータの羞恥心  (日本で生まれた?)
  11 ゴシック・わたし・ロリータ  (お姫さま?)
結論にかえて  ファッションとしての日本
オマケにコミック『ペダンチック・ラブ』(小野原作 藤田みゆき絵)

 衣服を着る根源的要因は、「羞恥心」「身体保護」「身体装飾」。
 この「装飾」、なぜ着るのか? 
 服は様々な意味を持つ――国・民族を象徴、男・女を表現、社会に対する異議申し立て、異文化を身につける……。

……わたしたちは「社会的動物」だから、一人で生きていくことはできない。誰か他人をひきつけたいという気持ちは、「見られたい/見られたくない」というアンビヴァレントな心と体。表現によって、外部=社会にあらわれる。自分にはその意図がなかったとしても、着ている服が特殊な意味を放ってしまうこともある。
……服は言葉であり、それは意味を着る行為。意味は、ときには言動を決めてしまう不自由さでもあり、わたしたちは社会において様々な不自由を体験する。その時その場所で必要なアイデンティティを意識して生きてもいる。いろいろな役割を背負わなければならないとしたら、そのイメージに力を借りたり、しなやかに脱ぎ着したいものだ。
 今日来ているあなたの服は誰のため何のための言葉だろう。

 難しくて、ようわからんのだけれど、家でダラーとしている時と、仕事に行く時……、よう考えたら、私、あんまり変わらん格好している。それでも新しい服を着るとウキウキします。
荒蝦夷『仙台学 11 東日本大震災』4

 斎藤純 『壁を越えた日』 http://rainyman.cocolog-nifty.com/about.html
 盛岡市出身、在住。岩手町立石神の丘美術館芸術監督、『街もりおか』編集長。ミステリ作家、音楽、オートバイ、自転車に詳しい。
 当日は体調を崩し医者で点滴を受け帰宅していた。揺れのなか仕事部屋にしているマンションに向かう。凶暴な揺れ方に恐怖で身がすくみ、「頑張れ! 頑張れ!」と自らを奮い立たせるために声をあげる。
 13日には盛岡の飲食店・商店が営業を始め、15日には商店街は以前と変わらなくなった。しかし、食料品や水などがなくなる。居酒屋が農家から仕入れた野菜や卵を売る。「自分たちにできることを、できるところからやろうと思って」と。
 ブログで街の様子を伝えた。通信社から記事の依頼。伝えることが仕事だと思った。書き上げて、「この震災で私なりにひとつの壁を越えたと感じた」。
 被災地に自転車を送るべくボランテイアを呼びかける。さらに支援物資を届けるため被災地に向かう。甚大な被害の大船渡、陸前高田
 

 津波の凶暴さに対する恐怖と悲しみで体の震えを止めることができなかった。この壁は、あまりに高すぎて、越えたとは思えなかった。


 佐藤賢一 『光のページェントまで』
 鶴岡市出身、在住。東北大学大学院卒。『王妃の離婚』で直木賞受賞。
 作家デビューした時仙台にいた。仙台の様子を知りたいが情報が入ってこない。他の地域も同様で、テレビに流れるのは津波や火事の映像だけだった。それから東京の計画停電、物不足。知りたいのは被災地の今の様子だ、人々の様子だ。電気は、水道は、米は、味噌は……、

 その種の報道を通じてこそ、うちの息子も大丈夫そうだとか、旧友は雨露も凌げていないのじゃないかとか、離れて暮らしている縁者は様々に想像できるのだ。そうすることで、ひとまずは安心したり、もしくは今こそと行動に踏み出したりできるのだ。

 とはいえ、被災していない自分は実感を持てずにいる。「仙台の様子を知りたい、被災地の現実を知りたいといって、知らないままでは単に居心地が悪かっただけなのだ」。騒いでいる子供たちを叱った。子供なりに震災と仙台の思い出がつながったようで泣き出してしまう。

「もう光のページェントはみられないの」(欅並木がライトアップされる仙台の冬の風物詩) 
「うん、またみたいねえ」
 子供たちに答えながら、私は思う。また光のページェントをみたい。実感がないならないなりに、綺麗だなあと夜空を仰いだ思い出をよすがとして、この悲劇を忘れないようにしよう。ああ、また光のページェントをみたい。みられるようになるまでは、自分に何ができるか考え続けよう。それが数種の葛藤を折り合わせた、今の私の思いである。

  また涙。

 成田亨 『希望があれば再興する』 
 仙台大学教授。この2月まで朝日新聞石巻支局長。著書に『話のさかな』(荒蝦夷 1700円+税)。
 多くの友人・知人を失った。生き残った人たちも「九死に一生」の思いをした。苦しいときは皆助け合う。助け合い、互いの境遇を話すなかで、元気が出てくる。友人の言葉「ひとついいことをすると、ひとついいことが返ってくる」が忘れられない。
 

 東日本大震災は、津波の猛威に、原発事故も加わり、被災地は数え切れない災いがもたらされた。しかし、生き残った人たちは助け合うなかで、再起しようと決意し始めた。海は再び静かになり、ヘドロを洗い流して浄化したことで、これまでよりも豊かな漁場が戻ってくるだろう。
「艱難は忍耐を生じ、忍耐は練達を生じ、練達は希望を生ず」
 初期キリスト教伝道師パウロがローマにいる信者たちにあてた手紙の一説だ。
 被災地の人々が忍耐のなかで希望の光を見いだしてほしいと強く思う。

◇ヨソサマのイベント
■ 石阪春生展 5.24(火)〜6.5(日) ポートピアギャラリー(ポートピアホテル 078−303−7373) 
 ポートピアホテル開業30周年記念展 http://twitpic.com/4qfjeq
(平野)