週刊 奥の院

橋口幸子 『珈琲とエクレアと詩人 スケッチ・北村太郎』 港の人 1200円+税
 装画・装幀:清水理江  
 私、アワテモンなので、絵が北村太郎さん(以下敬称略)と思っていた。
 その北村と著者は同じ家で暮らしたことがあるという紹介文を見て、またアワテモンは“恋人同士”と……、ちゃいました。
 橋口夫妻が1980年2月鎌倉に引っ越したのだが、大家が北村の当時の恋人で、のちに彼も越してきた。橋口と北村の初対面は引っ越し当日。彼は大きな鳥カゴを持って本屋の前に立っていた。不思議な縁でひとつ屋根の下。
 そして、最後、92年の秋。

……目に入った北村さんの姿は今にも割れてしまいそうなガラス細工のように見えた。街で会った最後だったが、思わずわたしは呟いた。「北村さんが壊れそうだ」。そうっと抱きしめてあげないと壊れそう、という思いが強く湧いたのを覚えている。

 喫茶店で珈琲とエクレア、そのあと夕食の買い物という行動パターン。
 あまりに儚げで、だるそうで、

「送りましょうか?」
「ううううん、歩かないと、歩けなくなるから」
……それから、一カ月もたたないうちに、北村さんは亡くなられた。

「港の人」の社名は北村の詩集から。ブログで当店を紹介してくださっています。
http://d.hatena.ne.jp/miasiro/


荒蝦夷『仙台学 11 東日本大震災』3
 大島幹雄 『地震・サーカス・漂流民』

http://homepage2.nifty.com/deracine/ 石巻市出身、作家、石巻若宮丸漂流民の会事務局長。横浜在住。海外のサーカスなどを招聘する会社に勤務。3.11はロシア人アーティストたちと愛知県犬山のモンキーパークにいた。

 宿舎に戻りテレビを見て、怖くなってきた。今目にしている恐ろしいことが、自分の生まれたところで起きているというのだ。この恐怖から逃れるため酒を飲んだ、そしていつのまにか寝ていた。朝方目が覚め、テレビを見ると、そこには名取の平野を侵食していく津波の映像が流れていた。解説付きで……。なんと酷いことを。悪夢であって欲しいと思ったが、これは現実であった。涙がとめどなく流れてきた。

 2週間ぶりに自宅に戻り、「石巻若宮丸〜」メンバーの消息確認。理事からメール、「まず生活再建最優先、会の活動再生の折にはよろしく」と。
 

 これを読んでいるうちにまた涙が流れてきた。そしていま自分がしなければならないことがおぼろげながらわかってきた。
 再生の折ではなく、生活の再建をするためにこそ、手助けが必要なのではないか。私はいままで好きなように生きてきた。東京の大学に入るとき故郷を去ってから、自分のためだけに一生懸命になってきた。東北がいま直面している未曾有の危機のなか、自分のことなんかどうでもいいではないか、これからは被災に遭った仲間たちの生活再建のため、そして故郷の復興のため生きていくべきではないか。何ができるか、いまはわからない、いっときだけの思いなのかもしれない、でも残された人生の全てとはいわなくても、少なくても半分以上は被災した人たちの生活再建のため、そして故郷復興のために捧げなくてはならない。これだけは決めている。

 書き写しながら落涙。
 木瀬公二 『災害で見えてきたもの』 
 朝日新聞記者、東京出身。08年遠野市に移住。朝日新聞岩手版で「遠野物語119のはなし」連載中。『100年目の遠野物語 119のはなし』(荒蝦夷 1400円+税)出版。

 「3.11」は横手にむのたけじさんを訪ねた帰り道。4時間かかって家にたどり着く。
 柳田国男長男夫人(91歳、東京在住)の遠野での秘書役と避難所で出会い、おかげで取材が進む。被災者それぞれの体験、避難所生活の現実、ボランティアと現地の混乱。
 フランスに住む姪からは「避難して来い」と言ってくる。原発を心配している。津波の被害が原発の影に隠れてしまっている。
 知人からは原稿依頼(震災の話ではなく日常エッセイ)、温度差に愕然とするが、原発は東京や大阪でも「火の粉」になりうるが、震災はなりにくいと痛感する。

 考えないとならないことは山のようにある。だが、いまはまず、国をあげて、電力にそれほど頼らない「ほどほどの暮し」をするように動き出すことを期待したい。

 熊谷達也 『気仙沼からの憤り』
 仙台市出身、在住。『邂逅の森』で山本周五郎賞直木賞受賞。
 教師として3年間過ごした気仙沼に。海は美しかった。しかし、海岸線は「残酷なまでに徹底的に破壊された瓦礫の海原」だ。元同僚を訪ね、かつての教え子やその家族を思う。港町・漁師町の雰囲気を、外の人間は怖そう、気が荒そうと思うが、開放的で、気前がよくて、裏表のない人懐っこい。そんな人たちのことを思い出しているうちに、腹が立ってきた。押えていた憤りが膨れ上がってきた。

「想定外」という言葉に腹が立つ。想像力のかけらもない、責任逃れの言葉を口にするのは、政治家や学者、識者と呼ばれる偉そうな人物か、訳知り顔でテレビに出てくるコメンテーターばかりだ。
 実際に被災し、家を失い、家族を失った人々は、誰一人として「想定外」という言葉を使っていない。たとえば、たいていの被災者は、「ここまで大きな津波が来るとは思っていなかった」という言い方をしている。あるいは、無言を貫き通すかのどちらかだ。……想定外という死者を侮辱する安っぽい言葉には、責任回避の悪臭がぷんぷん漂っていて、その言葉を聞くたびに吐き気を催す。

 原発事故ばかりを取り上げるメディア。命の瀬戸際に立たされた被災者を助けようという世論をなぜ作ろうとしなかったのか。買いだめ、風評被害など無意味な騒動を作り出しただけ。
 日本人の冷静さや忍耐を賞賛する外国の声を受け、得意げに語るコメンテーター。危機にあって賞賛に値する行動をとっているのは、東北人であって、日本人ではない。
 
 黒木あるじ 『戸惑う者たちよ、語るべきその日を待て』 
 弘前市出身、怪談作家、山形市在住。DVD『みちのく異界遺産〜やまがた篇〜』(荒蝦夷 1905円+税)
 仙台と山形は車で1時間弱の距離。山形は物資が不足したほかには大きな被害がない。「本来なら胸をなでおろすべき状況、それこそが堪えられないのだ」と、人々はこっそり打明ける。被災地との近すぎる距離、被災地・被災者と思われることの「戸惑い、嘆き、罪悪感」。怪談という文芸を得意にしているが、「(大震災という)現実は物語を凌駕」した。怪談はこの先受け入れられるのか? 自問する。
 遠縁の女性が不思議な体験を話してくれる。亡くなった夫の声に導かれて津波から逃れたと。

 怪談とは、決して「人を恐怖たらしめる」だけの話ではない。旅立った者と留まった者を繋ぐ物語だ。失った物と残された物を結ぶ物語だ。
 ならば、この未曾有の震災ののち、何ヶ月か、それとも何年か経って、語られはじめる諸々の逸話を、しっかりと聞き、書留めて、伝えていくべきなのかもしれない。
 それは何も、怪談だけにかぎった話ではない。
 壊れた町、亡くなった人々、過ぎ去ってしまった日々。それらを取り戻す事はかなわない。しかし、それらを語り、綴り、受け継いでいく事はできるはずだ。……
 さあ、悲しみを胸に足を踏み出せ。
 恐れを抱いたまま物語を編め。
 必ず、その言葉が必要とされる瞬間が来る。戸惑う者たちよ。語るべきその時を待て。

(平野)4.29 「荒蝦夷」代表Hさんと赤坂憲雄さんがご来店。京都で「山折哲雄・赤坂対談」があり(後日出版されるそう)、その足で神戸まで。私、休みでお会いできず、残念。当日の「京都新聞」に『仙台学』とフェアの記事。

山形新聞」には代表とT編集長。
http://yamagata-np.jp/feature/shinsai/kj_2011042901050.php?keyword=%C0%E7%C2%E6%B3%D8