週刊 奥の院

飛田時雄著 岡村青構成 『C級戦犯がスケッチした 巣鴨プリズン』 草思社 1700円+税

 巣鴨プリズンは1945(昭和20)年11月1日開所、1952(27)年4月日本に移管され、1958(33)年5月30日まで機能。この13年間で60名が処刑された。飛田は捕虜虐待の罪で逮捕、C級戦犯として収監される。
 

 わずか数日間の審理、しかも上告も許されないまま重労働30年(のち大赦令で10年に)という、じつに途方もない重刑を言い渡された。けれど私は従容としてそれを受け入れ、刑に服した。

 飛田は服役生活を、意外にも「かならずしも無駄ではなく、むしろそれなりに楽しくもあり、有意義な体験」と書く。農作業は狭い雑居房から解放されストレス解消になったし、「アートショップ」発足で好きなイラストに没頭でき、さまざまな講義を受け、俳句・短歌などにも親しむ日々だった。
 絵が得意で房内をスケッチしていた。巣鴨の前にいた収容所で、米軍将校に妻のポートレートを頼まれ、それがよく描けていて、兵士たちが次々依頼。将校が収容者による雑誌作りを提案し、イラストを飛田にという話も。表紙を描いたが、結局計画倒れになる。
 巣鴨でのイラストのきっかけは、A級戦犯・梨本宮守正の依頼から。宮は昭和天皇の大叔父で元陸軍元帥、伊勢神宮祭主、開戦には関与していないが、皇族でただひとり戦犯になる。45年に収監、半年後釈放される。のち皇籍離脱。飛田がお世話係だった。宮はお茶目でユーモラスな人柄。宮の要望は、食事分配で並んでいるところ。カバージャケットの絵がそれ。上段左の人物が宮、4人目が東條。獄中の人物と生活をいきいきと描いている。
 東條の世話係もした。

……東條には、威厳のなかにも人情味を感じさせる、やさしい言葉もかけてもらったし、銃痕もナマナマしい背中を流したこともあれば、煙草もたくさんもらった、毛筆の書まで贈られる……

 自分は釈放されたが、民間人なのに処刑された人もいる。「不条理で間尺に会わない。彼らも戦争被害者であり犠牲者」と同室だった人たちを悼む。
 55年の釈放まで描いたスケッチは500枚超。訊問の様子、妻子に手を合わせる姿、食事、入浴、レクリエーション、房内でたまに見かける女性たちなど。これらがアメリカで発見され、2002年に展覧会、03年にはプリンストン大学で講演も。

……私にとって巣鴨プリズン十年の服役生活はかならずしも苦痛や不満だけではないということもでき、むしろ感謝したいぐらいだ。とはいうものの再び戻りたいと思わせるところではない。
……金輪際、戦争はこりごりだ。

(平野)
本屋大賞」発表。http://www.honya-town.co.jp/hst/HT/jusyo/list_b/honyataisyo.html