週刊 奥の院

『大阪で生まれた開高健』 たる出版 1500円+税

 2月出版。
第一部 開高健という人
 難波利三 「開高さんとの奇縁」  
 柳原良平 「トリス時代の開高クン」
 來田仁成 「『釣り師=開高健』――釣りごころの聖の系譜」
 谷口博之 「開高健先生の胃袋」 
 菊谷匡祐 「dox vitae、dia volputas.(人生の案内者たる神聖なる快楽)」
 藤本義一 「開高健氏の映画の眼」
 岡田圭二・金戸述・作花済夫 「鼎談 旧制大阪府天王寺中学校での思い出 “カッパ”と呼ばれていた開高健
第二部 こうして作家開高健が生まれた
 坪松博之 「開高健佐治敬三 トリスをめぐる二人の冒険」「開高健と作家・芝田祀男との手紙」「佐治敬三とけい子夫人に宛てた手紙」
 開高健×佐治敬三 「ほろ酔い対談 地球のうらは恋ざかり」

 ジャケット写真、右は旧制高校の頃。本書に谷沢永一さんの名前がないのは寂しい。
 柳原良平の文章から。
 昭和29年、壽屋宣伝部宣伝課、開高とふたりで初めて制作した新聞広告、開高のコピー。

 明るく 楽しく 暮らしたい そんな 想いが トリスを買わせる
 手軽るに 花を 添えたい そんな 想いが トリスを買わせる
 

 残業して制作、柳原は三色の紙を切って貼り合せていく。
 

……せっせと作業をしていく私を横目に開高クンは「あまり早う作らんといてや」と云いながら原稿用紙に文字を書く。「よっしゃでけた!」声を出して読もうとすると「読まんといてッ!」と叫ぶ。声を出して読まれるのはイヤなのだ。

 開高は壽屋入社以前から小説家志望で同人誌に参加していた。
 

……ある夕方、例によって仕事を終え飲みに歩いていた。やはりいつものように北の新地あたりだろうか、普段寄ったことのない小さなスタンドバーで飲んだ。周りは小説家の卵とおぼしい風情の男たちが多かった。そのうち開高クンは少し年配の男性と激論を交わし始めた。同人誌を主宰していた富士正晴だった。この時初めて小説家をめざす開高クンの姿に接した。

■「荒蝦夷」取材、12日は時事通信(大阪)。K記者は被災地から戻ったばかり。
「読売大阪」の動画、アップされています。http://www.yomiuri.co.jp/stream/m_news/vn110412_2.htm
 当店、気仙沼の「みなと倶楽部」の出版物もあります。漁業と漁船の本、2階海事書コーナー。人伝にご無事と伺っています。


(平野)