週刊 奥の院

ひさうちみちお 『マンガの方法論 マンガの経済学 お金とマンガの不思議な関係』朝日新聞出版 1800円+税

 敬愛する“ひさうちせんせ”が2月に新しい本を出しておられた。知らなかった、気づかなかった、迂闊・粗忽、一生の不覚。鞭でしばかれても仕方がありません。
 どうしてみんな教えてくれへんかったん? 
 スケベ本ありますよーと、たいがい誰かが教えてくれたのに……。身内では文芸担当者、外部では“ATG”の面々。皆、情報に疎いのか? おっさんには教えたくないのんか? 
 気を取り直して。本書はスケベ本とちゃいます。
“せんせ”は1951年京都生まれ。実家は「お菓子のコトブキ」チェーン店で、今も健在。小学校から私立という「お坊ちゃま」であらせられる。
 76年「ガロ」新人賞入選してデビュー。エッセイ・イラストでも活躍、京都精華大学マンガ学部准教授。
 スケベの王道を歩む“変態哲学の大家”の本を「大朝日」が出す、大丈夫か「朝日」?
 本書は、“せんせ”の「スケベ人生」ではなくて、「マンガ人生」の歩み。子どもの時からのマンガ遍歴。「少年」「少年画報」から始まり、「手塚治虫」「マガジン」「サンデー」、高校生になると「COM」や「ガロ」。この頃からマンガ家を志す。社会的な意識が芽生える。
 

 貧乏でも、自分の思想や、作品に没頭する、というのはある意味で「当然」のことでもあったんです。(略)
 当時だって、アタマでは「食えなければマンガどころじゃない」というのはわかっていました。「できればマンガを描いた収入で生活ができれば一番」とも思っていたのですが、「描きたいものを描くことが最優先」で、「それでお金がもらえたらベスト」という順序でした。「マンガで食えなければずーっとバイトしてればいい」と思っていたのですから、さすが高校生で、ノー天気なものです。
 しかし、そのノー天気、というのはなかなかに「根が深い」もので、実のところ僕の気持ちは、本質的にはその当時とまったく変わっていないように思います。

 昔のおもろいエピソード。
(1)いしいひさいちがまだ無名の頃、チャンネルゼロの編集者たちは、彼をパシリに使っていた。
(2)チャンネルゼロいしいひさいち川崎ゆきお(すでにメジャー)に自己紹介。
〔い〕4コマを描いていて……
〔川〕4コママンガ? そんなもん売れるかいな、やめときやめとき
「しばらくして、いしいさんはドッカーンと売れたのでした」
(3)川崎の親戚に、現在超有名売れっ子マンガ家がいる。その人が子どもの頃、母親が川崎さんに相談。
「ウチの息子はマンガが好きで……」
〔川〕あかんあかん、マンガなんか儲からへんで、やめとけやめとけ
その後その息子は「ドドドッカーンと売れたという話」

私はこの話が大好きで、それは川崎さんの助言が外れたことをおもしろがっているのではなくて、彼がバリバリの由緒正しきメジャー出身者にも関わらず、マイナー系を盾にして刀を振り回さないところが良いからです。「売れるかいな」と一言で言い切ってしまうところが潔い。先ず食うこと、その単純明快さが気持ち良いのでした。

そんなに儲からなくてもそれぞれの楽しみを持ち、それぞれの事情をかかえ、それぞれの条件下で働く人達と遊離してはならない。私にとって貧乏とはそういう無名性というか、庶民性というか、大衆のスタンスみたいなもので、それがマンガの基本だと思うのです。
そこには美しさも悲しみも愚かしさも怖さもあります。だからおもしろいんですよ。たぶん。

(平野)