週刊 奥の院



和田芳恵 『筑摩書房の三十年 1940−1970』 筑摩選書 1600円+税 
 1970年初版、復刊。
永江朗 『筑摩書房 それからの四十年 1970−2010』 筑摩選書 1800円+税
 両書とも「社史」。
73年、創業者・古田晁死去。78年7月会社更生法申請、事実上倒産した。

 

この中堅出版社が躓いたのは、いったいなぜなのか? そして、その出版社、どのようにして立ち直ったのか? これを明らかにすることは、おそらくなにがしかの意味をもつ。多少なりとも世のお役に立ちたい……。

 私が新米の頃の「筑摩」といえば、重厚な全集物が揃う出版社。岩波・みすず・平凡社に並ぶ硬派出版社(現在もそうだ)だった。基本的に買切り制だった。たまに営業担当者が訪問すると分野担当者がそれぞれ返品交渉をしていたのを思い出す。

 序章  一九六〇年代、たしかに企画は広がった
 第1章 漫画全集の毀誉褒貶 「現代漫画」
 第2章 子どもの心の起爆剤に 「ちくま少年図書館
 ……
 第5章 古田晁逝く
 第6章 思想が現実だったころ 『展望』の一九七〇年代
 第7章 『事故の顛末』のてんまつ
 第8章 筑摩書房のいちばん暑い夏 7.12 会社更生法申請
 第9章 去るも地獄、残るも地獄 11.15 更生法決定まで
 ……
「文庫」『文学の森』「新書」刊行、『頓智』の失敗、ミリオンセラー『金持ち父さん〜』『思考の整理学』、物流と営業の改革など。
 終章  良書を出し続けるインフラを 「筑摩選書」と筑摩書房のこれから

 

本書を執筆していていちばんつらかったのは、一九七八年の倒産にいたる経緯を調べていたときです。筑摩書房に対して抱いていたイメージが崩れてしまいました。いい会社だと思っていたのに、がっかりしました。社史を書く仕事を引き受けたのを後悔しました。

「倒産直前の筑摩は腐りきっていた」、許しがたいのは「紙型再版」と。元版を再利用して新しい本であるかのように新刊を量産した。古田時代のブランドと買切り制を悪用した。しかし……。
 

もしも、あのとき倒産していなかったら(そして、倒産を回避することも不可能ではなかったと思うのですが)、筑摩書房はどんどん腐り続けていったことでしょう。しかし、幸いにして倒産した。倒産したから一から出直すことができた。もちろん、そのために払った犠牲はとても大きなものです。多くの人に迷惑をかけました。だけど、倒産しなかったら、もっと大きな犠牲を払わなければならなかったのではないか。

真実を書くのはつらかったが、再生のプロセスを振り返るのは、「じつに気持ちのいいもの」とも。
『三十年』の主人公が創業者とすれば、『四十年』の主人公は、とりもなおさず「再生」である、と菊地現社長は語る。

(平野)