週刊 奥の院


加藤陽子 佐高信 『戦争と日本人――テロリズムの子どもたちへ』 角川oneテーマ21 724円+税
『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(朝日出版社)の加藤さんは、『仁義なき戦い』脚本家・笠原和夫の愛読者。笠原の「アナーキーなことをやっていると生き生きしてくる日本人」という見立てに惹かれる。歴史研究家としては別の日本人像があることを知っている。今の日本を考えるには、多様な日本人像を思い出し、見ていく必要があるという。
 佐高さんには、『西郷隆盛伝説』『平民宰相 原敬伝説』など近現代史に関する著作もある。史料にあたるだけではなく、主人公の由縁の人に注目し、また対照的な人物から論じるなど、歴史家とは違う視点で見る。
 書名にある「テロリズムの子どもたち」について。
 

近現代史のなかで)現実に対する義憤や短慮によって、未熟なものたち=子どもが早まって事を起こし、その結果、本来は歴史が必要とした「大人」の死体が累々と横たわる風景があまりに多かった。

 暗殺・テロ・クーデターなど。
 また、西郷の場合は、あえて反乱士族の首謀者として死を選んだ。勝海舟がその死を悼んで詠んだ。
〈ぬれぎぬを 干そうともせず 子供らが なすがまにまに 果てし君かな〉
 反乱軍には若者が多かったが、海舟の「子供ら」とは、無鉄砲・無分別の意味を含む。
 原敬暗殺、5.15事件の犬養毅、2.26事件の高橋是清ら、殺された政治家たちは、経済的には国際主義、外交は強調主義、内政では議会主義を唱えた面々。
 外国との間に事件が起きるとすぐに排外感情が起きる。

(佐高)メディアが世論を盛り上げて、その世論に乗ってさらにメディアが過熱報道して、世論がまた叫ぶ。絶賛するか、袋叩きかのどちらかしかない。若いひとたちには、「メディアの浮かれ主義にやすやすと乗るな」「世論は疑え」と強調したい。
(加藤)簡単な煽動に乗ってしまう幼さが、気になる。豊かな感情というものがおろそかにされてきたということかと思う。

「歴史の重層的な見方を語り、時代に爪を立てる方法を伝授。柔軟な〈非戦の思想〉を日本人の経験にさぐる!」


野口武彦『幕末バトル・ロワイヤル 慶喜の捨て身』 新潮新書 740円+税
 幕末権力争奪史、第4弾。
大政奉還は,窮余の一策ではなく、徳川政権の立て直しを目指す慶喜による捨て身の大博打だった」
 慶応3年10月14日、慶喜は「大政奉還」を朝廷に上表。王政復古後の新体制において、400万石の大大名としてその中心に座る構想。しかし・・・・・・。
 11月末日をめざして、簾前での諸侯会議を招集されるが、大名たちが上京せず、開催の見込みが立たない。大名はまだ佐幕派が多数を占める。岩倉具視は勤皇藩に働きかけ12月8日朝議を開く。勤皇藩だけではなく佐幕派大名も招集された。無論、慶喜京都守護職会津京都所司代・桑名も。
3人は病気と称し欠席。
 

慶喜は打ち返せばクリーンヒットになったかもしれないストライクボールを見送ったのだった。朝議に出席して正面衝突するという選択肢もあったはずだが、慶喜はそのリスクを回避した。うっかり呼び出しに応じたら身柄を人質に取られる危険ありと感じたに違いない。諸侯会議の開催まで慎重に振舞うという判断をつらぬいて、慶喜並びに会津・桑名両藩主は動かなかった。これが欠席裁判を認めた結果になる。

議題は「長州処分」。毛利家の官位復活、追放・謹慎の公卿(三条実美、岩倉他)らの処分が解除される。
人事では、摂政・関白・将軍・守護職など旧官職は全廃、新しく総裁・議定など。討幕派一色。
当然慶喜の名はない。さらに議題は「徳川処分」に。
 慶応3年10月14日の大政奉還から55日、権謀渦巻く権力闘争。「捨て身」の作戦も、最後の詰めで・・・・・・。

(平野)