週刊 奥の院


熊野新聞社編 『大逆事件と大石誠之助 熊野100年の目覚め』 現代書館 2000円+税

 和歌山県新宮市の新聞「熊野新聞」(現在「南紀州新聞」)が掲載した「大石誠之助名誉市民運動」と「大逆事件」報道をまとめる。
 新宮の医者・大石がなぜ逮捕され死刑になったのか?
 1908(明治41)年11月、大石は東京の幸徳秋水宅で革命放談のようなものを聞かされ、同席した森近運平と「大逆」の謀議、帰途、大石は大阪で武田九平ら3人に幸徳の話を伝え、翌年1月自宅で、成石平四郎、高木顕明、峯尾節堂、崎久保誓一に話し……、ということになっている。
大逆事件」は、日本の民主化の流れを止め、軍国主義ファシズムへの曲がり角になった。
また、明治維新後、熊野に刺さった3本のトゲのうちでも最大とされる。
1・神仏分離令修験道禁止令で、熊野信仰の根本が失われた。
2・廃藩置県熊野川を県境として、熊野は三重と和歌山に分割された。
3・大逆事件で熊野の反骨と自由闊達な精神が失われた。
 熊野の嘆きだ。
 作家・辻原登和歌山県印南町出身)は、大石を主人公にして『許されざる者』(毎日新聞社)を書いた。
 

大逆事件そのものは、たしかに政府によるフレームアップであるが、政治犯において、無実であるかないかを、後世の人間はいくら問うても意味がない。大逆事件で処刑された人々は革命の殉教者として死を受け容れたのだ。すべてはそこから始まる。

(平野)