週刊 奥の院


川村蘭太 『しづ子 娼婦と呼ばれた俳人を追って』 新潮社 2400円+税
 以前紹介した「鈴木しづ子」について新しい本。http://d.hatena.ne.jp/kaibundo/20090827
 新発見の未発表句とともに。
 戦後間もなく、2冊の句集を残して、俳壇からも世間からも姿を消した「鈴木しづ子」。
 岐阜で米兵相手の娼婦になったと噂される。2冊目の『指環』(昭和27)には、すでに夜の女になっていた彼女の生活が詠われている。それ以降も師・松村巨湫に句を送っている。最後は昭和27年9月15日付。
  死ぬべきときの薬ぞ箱ひそむ
  劇薬の劇と銘うち暑気極む
  この致死量の吾にあやまたざることを
  秋立ちぬ情死希ひしことはむかし
  雪はげし共に死すべく誓ひしこと

 松村は彼女の自殺を推断。毎月句を選び同人誌に載せた。昭和39年7月に逝去するまで続いた。
 川村は元「黒澤明」の事務所重役。俳人でもあり、「しづ子」映像化希望もあった。本格的に取材を開始したのは昭和61年。「しづ子」の句は松村の死後、弟子のひとりが保管していた。63年、川村は大量の句に辿りつく。便箋748枚、約7300句。

 

しづ子の追跡をとおして、私は今まで自分が体験したことのない多くの光景を目にして来た。その視野に映るものは俳句ではない。俳句をつくる人間の姿である。この一七文字の世界を共に生きる人間の姿であった。

 保管主との3度目の面会で句を手渡される。
 探し求めた句を抱えて、川村は罪悪感ともいうべき感覚に襲われる。背筋に冷たいものが走り、肩に痛みを覚える。

 私の薄っぺらな好奇心と、確信のない自信とが、しづ子の執念に押し潰されそうになっていた。私はこの時ほど、俳句が一七文字に込められた人間の情念であると実感した覚えはない。(略)私の俳句は何であったのか。浅学な自分に怯えた。気軽に手を染めた俳句そのものに恐れをなしていた。分に反する自らの行為に罪悪感を覚えた。人の執念を踏み台にする、それは大きな罪の意識であった。

 他人の人生を追うことは、その相手だけではなく関係者全員の人生に踏み込むことでもある。
(平野)