文庫新刊から


西川祐子 『私語り 樋口一葉』 岩波現代文庫 1040円+税
 一葉の日記を基に一人称で書いた評伝。

 今日はことの外暑い。昨日も暑かった。崖下の小さな家にまで暑気がにじりよるこの日照りはいつまで続くのだろう。一八九六(明治二十九)年は樋口一葉最後の夏となろう。病人の私は眠ろうとしても眠られず、起き上がる力はなし、熱のある体が汗になって溶けだしたかと思う。妹の邦子が度々さしのぞくが、私の目は汗でかすみ、あえぐ声は言葉にならない。喉が腫れに腫れている。

 読売新聞が、頭角を現していた一葉を心配して、
「女史、乞う我が文壇のために自愛せよ」
 と書いた(明治29.8.19)。
 一葉の姿は、今5000円札で日々見ることができる(私は店のレジでしか拝めないけど)。美形である。本書に、袴で洋髪姿の写真が掲載されている。
 本書の「第一部」は、リブロポート「シリーズ 日本の民間学者」(92年)が元版。
「第二部 一葉小論」、「性別のあるテクスト――一葉と読書」は『文学 98年7月号』(岩波)初出。「樋口一葉のモデルニテ」は『國文学 解釈と教材の研究 94年10月号』(學燈社)初出。
 著者は1937年生まれ、フランス文学(バルザック専攻)。バルザックは1830年代ジャーナリズムと組んで小説というジャンルを開発、読者を獲得した。一葉も同じ野心を持っていたのでは? という視点 。

森清 『大拙と幾太郎』 岩波現代文庫 1360円+税
 鈴木大拙と西田幾太郎は同年の生まれ(1870=明治3)、生地も金沢とその近郊、四高で同級生、鈴木家は医師、西田家は豪農だったが、当時は没落していて(それだけが原因ではないだろうが)、ふたりとも中退している。
 

 明治は国興しの時代であり、また心おこしの時代でもあった。
 その時代に国を興しこころをおこそうとするひとの多くは、西洋に傾倒した。しかし、日本、東洋の文化を主軸に生きようとするひとたちもいた。
 その中に、禅を守護してしかも禅を海外に伝え、西洋にも深く学んで生涯を送った禅魂洋才のひとたちがいる。そのひと群れのひとたちは、明治から昭和にかけて友情を養い、死してなお一つの墓所に憩っている。

 北鎌倉・東慶寺和辻哲郎、岩波家、西田、安倍能成、野上豊一郎・弥生子、大拙夫妻、古田紹欽、それに実業家の野村洋三、安宅弥吉、出光佐三・・・・・・、偶然集まったのではない。岩波を中心にした文化人、大拙と禅で結ばれた人たち。彼らの多くが国際人であり、海外に日本を紹介した。
 本書は、「大拙と幾太郎の、そしてそのふたりとともに生涯を生きたひとたちの『友情』の物語」。
 1940年(昭和15)、大拙の『禅と日本文化』(岩波新書版)に幾多郎が「寸心」の号で序文を書いている。ふたりは70歳。
 

君は一見羅漢の如く人間離れをしているが、しかも非常に情に細やかな所がある。無頓着のようであるが、しかも事に忠実で綿密である。(略)私は多くの友を持ち、多くの人に交ったが、君の如きは稀である。君は最も豪(えら)そうでなくて、最も豪い人かも知れない。私は思想上、君に負う所が多い。

 著者は1933年生まれ、鉄工所勤務を経て学者に。労働問題、中小企業経営、技術など執筆。元版は91年「朝日選書」。

「本屋漂流記」アップしました。みずのわ出版HP。 
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(平野)