週刊 奥の院 第86号+1の5

レベッカ・ソルニット 『災害ユートピア なぜその時特別な共同体が立ち上がるのか』亜紀書房 2500円+税 
サンフランシスコ在住、ノンフィクション作家。
 



 あなたは誰ですか? わたしは誰でしょうか? 危機的な状態においては、それは生死を分ける問題だ。ハリケーンのケースでは、メキシコ湾岸のあらゆるところで、身内や隣人だけでなく、見知らぬ人までが被災者に救いの手を差し伸べた。さらに周辺地域はもとより、はるかテキサス州からも、ボートのオーナーたちが艦隊を組んでニューオリンズに繰り出し、水上に取り残された人々を安全な場所に非難させたおかげで、何千名もの住民の命が助かった。

 
 しかし、その後警察や自警団、政府高官、報道関係者たちがやってくると・・・・・・、住民たちを危険な人たちと決めつけ、避難させず、救助もせず、多くの人が命を落とした。市民を災害自体よりも危険な存在と見なす、その極端な例だった。
 チリの鉱山事故で、坑内に残された人たちが実に冷静に行動して「特別な共同体」を組織し、全員無事に地上に帰還できたことは記憶に新しい。
 阪神・淡路大震災を経験した者としては、全国の人から物心両面の支援を受け、ボランティアのお世話になり、公的扶助もいただいた、感謝しています。多くの被災者は避難所や仮設住宅で慣れない共同生活をおくった。あの大惨事を経験した者だけではなく、あの状況を見た人知った人は他人事ではないと感じたはず。パニックにならず、暴力的な事件も起きず、食料の奪い合いなどもなく。もちろん少数ながら不届き者はいただろう。それでも、みんなが弱者だった。いわゆるマルボウの人も、その伝統的任侠精神で、炊き出しをしてくれた。
 
 

 災害の歴史は、わたしたちの大多数が、生きる目的や意味だけでなく、人のつながりを切実に求める社会的な動物であることを教えてくれる。(略)災害は普段わたしたちを閉じ込めている塀の裂け目のようなもので、そこから洪水のように流れ込んでくるものは、とてつもなく破壊的、もしくは創造的だ。ヒエラルキーや公的機関はこのような状況に対処するには力不足で、危機において失敗するのはこれだ。反対に成功するのは市民社会のほうで、人々は利他主義や相互扶助を感情的に表現するだけでなく、挑戦を受けて立ち、創造性や機知を駆使する。

 著者自らの災害での経験と歴史上の事件から、普通の人たちの反応である「廃墟からの蘇生」というパワーを検証する。
 現代社会が緊急時に役立つものなのか? 次に大災害に遭った時、私たちは助け合い協力し合う社会をつくれるだろうか? たぶん大丈夫だろう。皆さんの同意を求めたい。ね?
(平野)