神戸新聞&週刊 奥の院 第 86号+1の4

もうすぐ絶滅する紙の書物



神戸新聞記事より。
 毎週日曜日に「新兵庫人輝く」の記事あり。現在、第21部本の森から」を連載中。12.19「書店の根幹」。あのJM書店K社長の写真よりも大きく、当店F店長登場。
 これまでのは神戸新聞のWEBサイトで読んでいただけます。当記事がアップされましたらお知らせします。
http://www.kobe-np.co.jp/info/hyogo_jin2/87.shtml
http://www.kobe-np.co.jp/info/hyogo_jin2/88.shtml

ウンベルト・エーコ、ジャン=クロード・カリエール、ジャン=フィリップ・ド・トナック工藤妙子訳 
『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』 阪急コミュニケーションズ 2800円+税
 
 エーコは1932年生まれ、イタリアの哲学者で作家。近著『バウドリーノ』(岩波)。
 カリエールは31年生まれ、フランスの劇作家、脚本家、著書も多数。『珍説愚説辞典』(国書刊行会)など。
 両者共に古書愛好家でもある。
 トナックは58年生まれ。本書の構成者。『ギリシア・ローマの奇人たち―ー風変わりな哲学入門』(共著、紀伊國屋書店)。
 原題を直訳すると「本から離れようったってそうはいかない」。

対話の争点は、電子書籍を大々的に(もしくはささやかに)導入することで、どんな変化や混乱が訪れるのかを予測するのではありません。本を愛し、古書や稀覯書を収集し、インキュナピュラ[グーテンベルグ聖書が印刷された十五世紀半ばから十五世紀末までの活字印刷物]を追い求めかつ探求してきた経験から、二人はむしろ本を、たとえば車輪のような、それにまさるものをもはや想像できないほど完成された発明品だと考えています。文明によって発明されて以来、車輪の仕事はうんざりするくらい同じことの繰り返しです。その起源をコデックス[紀元前二世紀頃に作られた冊子状写本]に見るとしても、もっとも古いパピルスの巻き物まで遡るとしても、本という道具は、姿かたちはいくらか変わりましたが、頑ななまでにおのれ自身であり続けてきました。つまり両氏にとって本というのは、近々訪れるといわれ、時に恐れられてもいる技術革命によってさえ運航を止めることのできない、「知と想像の車輪」のようなものなのです。

(目次) 本は死なない 耐久メディアほどはかないものはない 鶏が道を横切らなくなるには一世紀かかった ワーテルローの戦いの参戦者全員の名前を列挙すること 落選者たちの復活戦 ・・・・・・ 炎による検閲 我々が読まなかったすべての本 死んだあと蔵書をどうするか 他
「我々が読まなかったすべての本」から。
エーコ)初めて家に来た人が書棚を見て、「ここにある本全部読んだのか」と訊く。答え方。ある人は「ここにある本だけじゃありません、もっとです、もっと読んでいます」。私(その1)「ここにあるのは、来週読まなくてはならない本です。もう読んだ本は大学に置いてあります」。(その2)「ここにある本は一冊も読んでいません。でなきゃ、どうしてここに置いておく必要があるのでしょう」。
 読んでいない本の中身を我々はどのようにして知るのか?
 いろいろ方法はある。本から伝わってくる、本を移動したりさわっているうちに少しは読んでいる、その本についての別の本を読んでいる、など。「でなければ、同じ本を四回も読む暇なんかどこにあるでしょう」。
(カリエール)本棚は、必ずしも読んだ本やいつか読むつもりの本を入れておくものではありません。(略)本棚に入れておくのは、読んでもいい本です。あるいは、読んでもよかった本です。そのまま一生読まないかもしれませんけどね、それでかまわないんですよ。

 なまけものは大安心。
(平野)



神戸新聞記事より。
 毎週日曜日に「新兵庫人輝く」の記事あり。現在、第21部本の森から」を連載中。12.19「書店の根幹」。あのJM書店K社長の写真よりも大きく、当店F店長登場。
 これまでのは神戸新聞のWEBサイトで読んでいただけます。当記事がアップされましたらお知らせします。
http://www.kobe-np.co.jp/info/hyogo_jin2/87.shtml
http://www.kobe-np.co.jp/info/hyogo_jin2/88.shtml

ウンベルト・エーコ、ジャン=クロード・カリエール、ジャン=フィリップ・ド・トナック工藤妙子訳 
『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』 阪急コミュニケーションズ 2800円+税
 
 エーコは1932年生まれ、イタリアの哲学者で作家。近著『バウドリーノ』(岩波)。
 カリエールは31年生まれ、フランスの劇作家、脚本家、著書も多数。『珍説愚説辞典』(国書刊行会)など。
 両者共に古書愛好家でもある。
 トナックは58年生まれ。本書の構成者。『ギリシア・ローマの奇人たち―ー風変わりな哲学入門』(共著、紀伊國屋書店)。
 原題を直訳すると「本から離れようったってそうはいかない」。

対話の争点は、電子書籍を大々的に(もしくはささやかに)導入することで、どんな変化や混乱が訪れるのかを予測するのではありません。本を愛し、古書や稀覯書を収集し、インキュナピュラ[グーテンベルグ聖書が印刷された十五世紀半ばから十五世紀末までの活字印刷物]を追い求めかつ探求してきた経験から、二人はむしろ本を、たとえば車輪のような、それにまさるものをもはや想像できないほど完成された発明品だと考えています。文明によって発明されて以来、車輪の仕事はうんざりするくらい同じことの繰り返しです。その起源をコデックス[紀元前二世紀頃に作られた冊子状写本]に見るとしても、もっとも古いパピルスの巻き物まで遡るとしても、本という道具は、姿かたちはいくらか変わりましたが、頑ななまでにおのれ自身であり続けてきました。つまり両氏にとって本というのは、近々訪れるといわれ、時に恐れられてもいる技術革命によってさえ運航を止めることのできない、「知と想像の車輪」のようなものなのです。

(目次) 本は死なない 耐久メディアほどはかないものはない 鶏が道を横切らなくなるには一世紀かかった ワーテルローの戦いの参戦者全員の名前を列挙すること 落選者たちの復活戦 ・・・・・・ 炎による検閲 我々が読まなかったすべての本 死んだあと蔵書をどうするか 他
「我々が読まなかったすべての本」から。
エーコ)初めて家に来た人が書棚を見て、「ここにある本全部読んだのか」と訊く。答え方。ある人は「ここにある本だけじゃありません、もっとです、もっと読んでいます」。私(その1)「ここにあるのは、来週読まなくてはならない本です。もう読んだ本は大学に置いてあります」。(その2)「ここにある本は一冊も読んでいません。でなきゃ、どうしてここに置いておく必要があるのでしょう」。
 読んでいない本の中身を我々はどのようにして知るのか?
 いろいろ方法はある。本から伝わってくる、本を移動したりさわっているうちに少しは読んでいる、その本についての別の本を読んでいる、など。「でなければ、同じ本を四回も読む暇なんかどこにあるでしょう」。
(カリエール)本棚は、必ずしも読んだ本やいつか読むつもりの本を入れておくものではありません。(略)本棚に入れておくのは、読んでもいい本です。あるいは、読んでもよかった本です。そのまま一生読まないかもしれませんけどね、それでかまわないんですよ。

 なまけものは大安心。
(平野)