週刊 奥の院 第82号+1の4

清冽

今日は文芸から。
後藤正治 『清冽  詩人茨木のり子の肖像』 中央公論新社 1900円+税 装幀 間村俊一 
 昨年末の『奇蹟の画家』(講談社)に続く後藤さんの人物評伝。



『倚りかからず』以来、彼女の読者だが、06年2月訃報に接し、あらためて詩集をひらき、エッセイを手にした。
「彼女の本当の読者となったのはこのときであった」

 詩集を持ち歩いた。
 

ほとんど暗誦している詩句に目を走らせ、それまで素通りしていた言葉に立ち止まる。己をふと鼓舞してくれたり、あるいは逆にふがいなさやいたらなさを知らしめたりする。
 覚えるものは時々によってさまざまであるが、澄んだ流水に接して身を洗われるごとき感触は変わらない。あらゆる権威が地に堕ちた時代、それは言葉が滅んだ時代といってもいいのであろうが、なお発光し続ける言葉がここにある。

 
 茨木の人格や作品は、「凛」という字で評される。「品性」や「自主性」という言葉も。
 晩年、病を抱え一人暮らしになったが、それでも彼女の精神も生活態度も崩れることはなかった。

 

彼女が“強い人”であったとは私は思わない。ただ、自身を律することにおいては強靭であった。その姿勢が詩作するというエネルギーの源でもあったろう。たとえ立ちすくむことはあったとしても、崩れることはなかった。そのことをもってもっとも彼女の〈品格〉を感じるのである。


 私が初めて読んだ彼女の本は、岩波ジュニア新書の『詩のこころを読む』。1979年10月のこと。本屋の先輩に薦められた。当時480円。その本の冒頭部分。

 

いい詩には、ひとの心を解き放ってくれる力があります。いい詩はまた、生きとし生けるものへの、いとおしみの感情をやさしく誘いだしてもくれます。どこの国でも詩は、その国のことばの花々です。

(平野)