週刊 奥の院 第80号+1の1

岡田憲治 『言葉が足りないとサルになる』 亜紀書房 1600円+税
 1962年生まれ、専修大学教授、現代民主主義理論専攻。
 自らを「政治学徒」であると同時に「政治博徒」とおっしゃる。「物を書くと言う行為」は「賭け」と、かつて著書の中で宣言したそう。「いっぱいの言葉を紡いで、『言葉の花火』を打ち上げてみたい」と。
 まず、なぜサッカー日本代表がワールドカップに続けて出場できるようになったのか? について。
 

それは、サッカーをとりまく人々(サッカー協会、良質なジャーナリズム、地味に頑張っておる全国の指導者、サッカーの選手たち、サッカーを愛する人びと)が、プロ化をめざして以降、ずっとサッカーについて以前より「たくさんしゃべった」からです。

 「才能ある選手がぎょうさん出てきたからやろ」という反論に、「その通りなのですが」と受け入れたうえで、全体としてのサッカーに関わる人たち」が世界の状況を知って、以前より豊かな言葉でサッカーについて何年も語ったから、「言葉をきちんと使えて、それゆえ頭を使ってサッカーができる」選手を発見し育て、活躍させることができたと。
 そして、ワールドカップである壁を突き破って、8強になれない理由も、
 

選手やマスメディアやサポーターに「まだまだ言葉が足りない」

から。
 強引な論だが、例えば趣味の写真でもひとりでやっているよりサークルに入って上達するのは、指導者の力よりも、優れた言葉で写真を語る先生に刺激を受け、以前よりも写真について談義する機会が増えたから。センスが良くなるのも、仲間と楽しい雑談を大量にしたからだと。
 専門の政治の分野で話すと、政権交代の理由の一つは、マスメディアと有権者が「たくさんの言葉を使って」、「やや異なるトーンで」、「ものすごい量のおしゃべり」をこの数年したから。別に統計を取ったわけでも調査したわけでもなく、現政権の宣伝でもない。
 

血の一滴も流さずに、(途中一〇ヵ月ほど合間がありましたが)五十年以上も政治権力を握っていた人たちから、別の集団に権力を移すような「紳士的な革命」ができた理由の一つは、人々が自分たちにとって切実だなと思ったことについて、「これまで以上に」たくさんおしゃべりをしたからなのだ。

 「もっと言葉が必要」。しかし「幼児語は絶対に使ってはいけない」。赤ちゃん言葉のことではなく、いわゆるハヤリ言葉。 
 「ウゼぇ」「チョーヤベー」「っていうかー」
 「感動をありがとう」幼児語ではないが危険な使用禁止候補用語。
 メディアが報じる「政治とカネ」も危ない。
目次 Ⅰ 言葉が足りない……最近社会で起こっているかなり「ヤバい」状況について。この「ヤバい」は「まずい」「危険な」「よろしくない」だが、昨今の使い方は逆の意味で使う。「言葉が圧倒的に足りなくなっている」。
 Ⅱ 言葉が出ない……言葉は知っているが、「何かの事情で」、「言えない」、「言いたくない」など「言葉を飲み込んでしまう」。世間=ニッポン人の宿題。
 Ⅲ 言葉がもたらすもの……言葉を使うとどれだけ素晴らしいことが起こるか、ちゃんとした言葉を使うと「いろいろなことの水準が上がる」。ここでサッカーや写真の話が説明される。
 ここまで、私、「はじめに」の部分を紹介しただけだ。 要約力のなさを嘆く。
(平野)