週刊 奥の院 第79号+1の3

宮本徳蔵 『文豪の食卓』 白水社 2200円+税 
   目次 
   一 鰻丼の決闘
   二 散らし鮨と涙
   三 甘い豆と苦い豆腐
   四 鮫と鯨の干物
   五 『死霊』の鼻づまり
   六 獺の涎を垂らす伊勢饂飩
   七 『吉野葛』の復活と水
   八 蛸、鮎の腐れ鮨、最後にオムレツ

 先輩文士たちの数々のエピソードは、さながら戦後文芸史(鏡花もフランス人も登場するが)。メインは「食」にまつわる話。
 一では井伏鱒二と鰻、二では小林秀雄大岡昇平と散らし鮨、五では埴谷雄高とトンカツなど。
 著者は1930(昭和5)年伊勢生まれ。75年小説家デビュー。『力士漂泊』で読売文学賞(87年)、『虎砲記』で柴田錬三郎賞(91年)など。フランス文学、歌舞伎にも造詣が深い。
 二から少し引用。小林秀雄は呑むと「絡み」癖。鎌倉文士の溜り場の鮨屋でのこと。
 

ある日、小林は大岡昇平と二人きりで来た。カウンターに並んで席を取るや否や、
「このあいだ雑誌に発表したお前の小説は、ありゃ何だ!」
 と叱りつけた。店主が思わず包丁を止めるほどの凄まじさだった。
 大岡は散らし鮨を黙々と食べながら、声もなくポタポタ涙をこぼした。せっかくの好物が塩辛くなり過ぎるのではないか、と危ぶまれた。
 批評家は八十歳、弟子格の作家にしても七十歳をとっくに越している。小林が東大仏文科を卒業して、旧成城高の生徒だった大岡のフランス語家庭教師となったころから少しも変わらぬ厳しさだった。

 宮本は、「絡み」が親しみと照れの交錯した複雑な友情の裏返しという江戸文化の一面であること、逆にこの受難を巧妙にのがれる達人もいたことも記している。
 「食」とは関係なく、関わりのあった文士、神戸ゆかりの田宮虎彦の哀しい話がある。妻に先立たれ、めっきりと寡作になる。ふたりの書簡集はベストセラーになった。先日のゴルツさんの本と共通する夫婦の絆だろうか。男の弱さなのか。他人は立ち入れない。
(平野)