週刊 奥の院 第79号+1の2

ゴルツ

アンドレ・ゴルツ 『また君に恋をした』 水声社 1500円+税

君はもうすぐ八十二歳になる。身長は六センチも縮み、体重は四十五キロしかない。それでも変わらず美しく、優雅で、いとおしい。僕たちは一緒に暮らし始めて五十八年になる。しかし今ほど君を愛したことはない。僕の胸はぽっかりと穴が空いていて、僕に寄り添ってくれる君の温かい身体だけがそれを埋めてくれる。

 ラブレターの主は、アンドレ・ゴルツ(1923〜2007)本名ゲルハルト・ヒルシュ、ウィーン生まれ。父がユダヤ人。ナチス侵攻でスイスのローザンヌで高校大学生活。イギリス人女性ドリーヌと出会い、49年結婚してパリに。50年経済ジャーナリストとしてデビュー。54年フランスに帰化し、アンドレ・ゴルツと名乗る。哲学者であり、エコロジストの先駆者。サルトルが「ヨーロッパで最も鋭い知性」と評し、「ヨーロッパ左翼の良心」とも呼ばれた。
 ゴルツの思想の一端を訳者の杉村裕史氏の解説から。

訳者はゴルツ氏と出会ったことで、生き方について二つの大きな影響を受けた。一つは、『資本主義・社会主義エコロジー』(邦訳・新評論・1993年)の中で展開された、「より少なく働き、より良く生きる」、「より少ない原料で、より良い製品を作る」、「より少なく消費し、より良く生きる」というエコロジー戦略である。ワーク・シェアリングによって獲得した時間を、どのようにタイム・シェアリングするかという議論に強い興味を惹かれた。お金の介在する経済関係ではなく、自分自身、家族、友人、地域社会との、共に分かち合う時間を大切にする、この理念に感動して、以後これを意識して実践することを心がけてきた。
 二つ目は、今回本書で何度も目にして、その都度深く考えさせられたゴルツの言葉、「互いを補い合う(コンプレモンテール)という単語である。人は誰しも、他者と助け合わなければ生きてはいかれない。例えば、男と女、夫婦やカップル、家族、集団、社会において、互いの存在をしっかりと認め受け入れる、さらには、それぞれに足りないものを互いに補い合っていくことがまずは肝要で、それを踏まえた上で互いに助け合うことが成り立つということを学んだ。私たち人間は誰もが不完全な存在であり、さらに、二人であっても、何人集まろうとも完全にはほど遠い。だからこそ共生できる社会が求められる。どんな人間でも、この世に在る限り、他者にとって必要不可欠な存在であると敷衍したい。

 さて、夫妻のことだ。訳者によれば、「二人の出会いは奇跡的」。彼の一目惚れだ。ゴルツは家族と離れて一人スイスで学んだ。ドリーヌも幼くして父母と別れ、戦後、演劇を学ぶためスイスに来た。ゴルツの母語はドイツ語、英語はたどたどしい。ドリーヌは英語、フランス語はまだ話せない。二人は「ともに故郷喪失者として、母国語ではないフランス語を共通言語として人生をスタートした」のだった。
 彼は、転向をテーマにした小説『裏切者』(1958年)の中で、登場人物として彼女のことを貶めて描いたと、後悔。50年以上を経て、謝罪して、改めて愛の告白をするのがこの手紙。どれほどひどいことを書いたのか? 出会って間もない頃の彼女を、「知り合いが誰もいない」、「フランス語を一言も話せない」哀れな娘。自分が彼女と離れれば「彼女は壊れてしまう」などの表現らしい。気高く聡明な彼女に対する侮辱とずっと悩んでいたよう。本書は、彼の告白と二人の生活の回想であり、フランスの思想・政治運動の概観でもある。06年9月出版されベストセラーになった。
ドリーヌは原因不明の病、そしてガンになり、長く闘病していた。07年9月22日、自宅で心中する。

君はちょうど八十二歳になったばかり。それでも変わらず美しく、優雅で、いとおしい。一緒に暮らし始めて五十八年になるけれど、今ほど君を愛したことはない。最近また、君に恋をした。僕の胸のここには再びぽっかりと穴が空いていて、それを埋めてくれるのは僕に寄り添ってくれる君の身体だけだ。(略)僕たちは二人とも、どちらかが先に死んだら、その先を生き延びたくはない。叶わないこととはいえ、もう一度人生を送れるならば二人で一緒に送りたい、とよく語り合っていた。

二人だけの愛の絆。
(平野)