週刊 奥の院 第78号+1の3

 
橋本一径(かずみち) 『指紋論――心霊主義から生体認証まで』 青土社 2600円+税
 難解やけど、気になる本。
 著者は1976年生まれ。東大で宗教学を修め、現在は愛知工大と武蔵工大で講師。専攻は表象文化論
 ジャケットから。

写真ならば犯罪科学者すら出し抜いて、自分のものかどうかを言い当てることのできた私たちも、指紋の前では戸惑うばかりであろう。身元確認は、指紋によって専門家の独壇場となったのだ。

 帯。

指紋が証明する「私」とは誰か?
 19世紀後半、身元確認の手段として発見された〈指紋〉が与えた知られざる衝撃。指紋を残す「幽霊」たち、指紋捜査に冷淡な名探偵ホームズ、指紋採取に対する市民の嫌悪感情――。社会問題からオカルトまで歴史の謎めいた諸断片を渉猟し、近代的主体の変貌を鮮やかに描き出す逆説の身体―社会論。

 目次
 第?章 幽霊の身元確認 
 第?章 死者の身元確認
 第?章 犯人の身元確認
 第?章 痕跡の身元確認
 第?章 市民の身元確認
  終章 「私」の身元確認

 指紋が犯罪現場でその威力を発揮するようになったのは19世紀末から。犯罪者だけでなく死体の身元も確認できる。20世紀初めにはアメリカで幽霊の指紋が出現した。科学とオカルトは相性がいいらしい。心霊写真というのもある。霊は「死んでも死にきれない」思いを抱えて姿・気配を見せると考えれば、その思いを成就もしくは断念すれば、「あの世」に行ける。身元を確認することは、彼らに死を与えるための重要な手続きになる。近親者が亡骸の特徴から読み取っていた身元が、指紋によってより「客観的」に確認できる。近親者が納得できればいいはずのものに、「客観的」な確認とは? 
「私」が「私」であることを他人に証明するために、戸籍や身分証明書やサインや暗証番号やら……を提示しなければならない。証明写真という人相が悪くなる写真が必要な場合もある。生体認証チップの組み込まれたパスポートやIDカードの実用化が始まっているそうで、そこにもやっぱり写真が貼られる。

私たちはもはや他者のまなざしによらなくとも、あちこちの端末に指紋をかざすだけで、「私は誰であるか」という問いへの答えが容易に得られてしまうのではないか。なるほど端末という「他者」は必要である。しかしそれは私たちが知人や家族を同定するのと同じことなのか。その端末が、故意か事故かによって、「私」を誰か別人と特定したら、私たちは「アイデンティティ・クライシス」に陥るのだろうか。ビジネス・パーソンたちが名刺を交換する代わりに、携帯端末上で指紋を捺し合うような日が、近くやってくるのだろうか。これらの問いへの答えを、今のところ私は持ち合わせてはいない。ただ確実に言えるのは、そのような近未来社会が、「管理社会」という語ではとても収まりきらないような、複雑な様相を呈しているであろうということである。

 私は今のところ犯罪歴はないので、指紋が当局に保管されてはいないはず。万引き事件や盗難事件で指紋採取に何度か協力しているけど、大丈夫かな? 
(平野)