週刊 奥の院 第78号


C・ダグラス・ラミス 『要石:沖縄と憲法9条』 晶文社 1900円+税
 週刊 奥の院 第78号+1の2
 
著者は、1936年サンフランシスコ生まれ、海兵隊員として沖縄に駐留した経験を持つ政治学者。現在那覇在住、沖縄国際大学講師。
日本への「復帰」以前、沖縄の車のナンバープレートには、「Keystone of the Pacific」(太平洋の要石=かなめいし)と書いてあったそうだ。今ではなくなっているが、沖縄が何かの要石だという比喩が現在まで伝わっている。
「要石」とは? ジャケット写真を参照。 アーチを建築する時に使う。左右から積み重ねた石(左からの石は右へ、右からの石は左へ崩れようとする)の真ん中に要石を入れることで、アーチを崩す力が固定する力になる。
 沖縄が「要石」というなら、その「比喩」はどのような現実に基づいているのか? どのような相反する力を固定しているのか?
1.平和を愛する、憲法9条をなくすな。
2.近隣に怖い国があるので、アメリカ軍が必要。
 このふたつは矛盾している。しかし、崩れない。
  

日米安保条約から生まれる基地を「遠い」沖縄に置き、基地問題を「沖縄問題」と呼ぶ。基地のことを考えたいとき(福生や横須賀ではなく)「遠い」沖縄まで旅し、「ああ、大変」と思い、平和な日本に戻ってくる。つまり、軍事戦略の要石として沖縄の位置は特によくないが、日本の矛盾した政治意識をそのまま固定するために、遠いけれども遠すぎてはおらず、近いけれども近すぎてもいない、ちょうどいい距離だ。

 その「距離」は地理的なことだけではない。
  

ヤマト日本人の(潜在)意識の中で、沖縄は二つあるらしい。ひとつは日本の一部としての沖縄で、もう一つは海外としての沖縄、である。

「海外」の沖縄に基地があれば、平和な日本に住んでいる幻想を維持できる。そしてその矛盾をなるべく考えない。
  

だからこそ、もっとも聞きたくないのは、基地の県外移設のことだ。

 沖縄の面積は日本全体の0.6%しかないのに、米軍基地の75%がある。日本人の75%は安保条約を支持しているが、沖縄の人は7%しか支持していない。
  

基地を「欲しくない」人のところに置くよりも、「欲しい」と言っている人のところに置くのは、珍しくない、ごく当たり前の考えなのではないだろうか。

 日本国民はこの矛盾をどうするつもり?
 沖縄県知事選挙は11月28日。その後で考えるのかい?
(平野)