週刊 奥の院 第78号+1の1 

大人の本棚『森於菟 耄碌寸前』 池内紀解説 みすず書房 2600円+税
 先月の「小堀杏奴」に続いて、鷗外の長男於菟(おと)の作品。1890(明治23)年生まれ。鷗外最初の結婚の子ども。生後1ヵ月で離婚した。鷗外ドイツ留学中の恋人女性がはるばる来日し、森家は結婚を急いだ。しかし、1年間の結婚生活だった。於菟は里子に出され、後、祖父母に引き取られる。13歳で鷗外のもとに戻る。
 於菟は解剖医、文章家としてのデビューは1936(昭和11)年「東京日日新聞」に書いた「森鴎外」。複雑な家庭を告白した。表題作は、大学を退職した後、72歳の時の文章。
 偉大な父は「家」に従った、それゆえに子は複雑な家庭環境で育った。なんか、つらい。

私は自分でも自分が耄碌しかかっていることがよくわかる。記憶力はとみにおとろえ、人名をわすれるどころか老人の特権とされる叡智ですらもあやしいものである。時には人の藩士をきいていても異常に眠くなり、話相手を怒らしてしまうことすらある。(略)
 ともかく不幸中の幸いは私が凡庸な人間に生まれついたことだ。私は医学者としても大きな仕事を残さなかったし、思うところあって文学者にもならなかった。偉大な頭脳の持主といわれた父に比べれば如何に卑小で不肖の子であろう。だが、いたずらに己をさげすむことはすまい。なぜなら愚かな息子を持つことは、父にとっても決して名誉でないはずだからだ

(平野)