週刊 奥の院

ワル姫

週刊 奥の院 第76号の3
鹿島茂 
『「ワル姫さま」の系譜学 フランス王室を彩った女たち』 講談社 2400円+税

「ブルー・ブラッド」。ヨーロッパ王族の高貴な血筋をこう呼ぶ。

 その昔、スペインがサラセン人(イスラム教徒)に占領されていた頃、征服者の圧政に苦しむゲルマン系の王族たちは、サラセン人に比べて自分たちの皮膚が白くて静脈が青く透けて見えることを誇りに思い、自分たちには青い血が流れているから奴らとは違って高貴な人種なのだと考えて、屈辱に耐えようとしました。
 ブルー・ブラッドという表現はここから生まれたのです。
 それは高貴な生まれであることの矜持を示すと同時に、ヨーロッパの王族の血縁性を指す言葉でもあります。

 血縁性――ヨーロッパの王族は、たどればすべてゲルマン民族の長にいきつく。王子・王女は他国の王族と結婚する。自国の貴族からさえ相手を選ばない。下賤な血が混じりこむのを恐れた。フランスのフランク族、ドイツのアラマン族、イギリスのアングル族とサクソン族、すべてゲルマンの枝族になる。「親類」なのだ。「親類」同士が混じりあっていると、何百年のうちに血族結婚の要素が強くなって、必然的に、とびきり優秀な人間も出れば、逆もある。そのバカ王子・ワル姫が王や王妃になってしまったためにおこった物語=歴史的事実がいっぱいある。
「カトリーヌ・ド・メディシス」「メアリー・スチュアート」「マリー・テレーズ」ら有名人もいるが、初めて目にする人もいる。
 トップバッターは「イザボー・ド・バヴィエール」。時は1385年7月、ドイツ・バイエルン公国の姫エリザベート(ドイツ名・14歳)はフランス王国のシャルル六世(16歳)と結婚。この王様、今で言うオタクっぽい変人。政治の実権は叔父たち。フランスとイギリスはいわゆる百年戦争の最中。神聖ローマ帝国内のドイツ諸国と連携を深めたい。六世は新妻にエエトコ見せようと出陣。イザボーは、その間に美形の貴族青年や六世の弟と浮気。複雑な権力争いの始まり。六世は狂気と正常がまだらになり、叔父たちが絡んで内戦に。イザボー&弟VS.叔父ブルゴーニュ公派に別れる。ところが、考えられないことに、トップ同士で男女の痴情のもつれやら何やらで、複雑な組み合わせになる。形はブルゴーニュ党VS. アルマニャック党、イザボーはブルゴーニュ党になり、息子(のち七世)はアルマニャック党。ここにイギリスが手を突っ込んでくる。イザボーはイギリスと結ぶ。1420年、娘カトリーヌをイギリスのヘンリー五世に嫁がせる。しかし、22年ヘンリー急死。カトリーヌの子ヘンリー六世が幼くしてイギリス王になり、イザボーは彼をフランス王にも即位させる。一方、アルマニャック党はシャルル七世を擁立。
 そして、そして、28年シャルルの下に馳せ参じたのが、農民の娘ジャンヌ・ダルク。パリ陥落寸前、彼女は捕らえられ処刑。
 しかし、しかし、31年ブルゴーニュ党のフィリップ善良公がシャルル陣営に加わり、ついにアルマニャック党の勝利となる。
 イザボーは35年まで生きた。
 以上、一人のあらまし(かなりはしょって)だけでも、複雑な王家とヨーロッパの歴史が絡んでいる。鹿島先生は私たちにわかるように語ってくれる。

遠い昔の、遠い国フランスの宮廷で繰り広げられた王子さま(あるいは王さま)とお姫さま(お妃さま)の物語というと、現代のわたしたちにはおよそ無関係な話に感じられますが、しかし、王子さまとお姫さまだろうと、一皮むけば、そこにあるのは男と女。すなわち、上半身ではなく下半身に注目すると、その途端、人類が人類である限り変わらない愛とセックスを巡る永遠の追いかけっこが見えてきます。

(平野)