週刊 奥の院

技術からみた人類の歴史

週刊 奥の院 第76号の2
山田慶兒 『技術からみた人類の歴史』 SURE 2200円+税 
 一首。
 まっちゃんが「読んで」と言うから目を通す 瞼重くて寝てしまう
 俵さんとちゃいます。京都「編集グループSURE」の街ちゃんでーす。
 著者は、1932年福岡県生まれ、科学史家。同志社大、京大、国際日本文化研究センターの教授を歴任して、現在は龍谷大学客員教授。前著『ダンテは世界をどう描いたか』(同社)は当店でも売れました。あのう、まあ初回仕入分が売れて、その後も補充をしている、というくらいのことなんです。
「技術と、それにむすびついた科学という視点から、人類の歴史をみたらどういうことになるか」
「人間は自然にはたらきかけ、自然の物を用いてそれに手を加え、自然にはない物を作りだす。人間はほかの動物とちがって、そこに人間としての生存をかけた。その意味では、作るという行為が人間を人間にした、と言ってもいいでしょう」
技術には、人間活動のほかの領域にはみられない、いくつかの特徴がある。まず発明。ごく単純なものを除いてほとんど、「一人の人が作りだしたものであって、その発明は人類の歴史のなかで一回しか起こらなかった」。
起こった出来事は再現できないが、「発明された物は再現」できる。「いったん発明されたものは、こうして人類の共有財産になる」。これも大きな特徴。
 発明は、ほかの地域へ伝播する。発明された物が伝わる。人が伝える。発明の情報が伝わり別の人が発明をする。
 伝播の速度はどうか。正確な年代がわかっているのは「紙」。
「紙は紀元前二世紀ごろ中国で発明され、極東から極西まで大陸を横断するのに六〇〇年かかっています。それに先立って、発明が中国以外には――日本をふくめて――知られていなかった七〇〇年があります」
 発明されて700年たってからようやく他の地域に伝わり始め、ヨーロッパの端までいくのにまた600年かかった。
 また発明と伝播について別の例がある。ローマ人は紀元前500年ごろに「安全ピン」を使っていたが、これは他の地域に伝わらなかった。1840年代にアメリカ人が再発明した。
 このことから著者が言う。
「紙という大発明と安全ピンという小発明の顛末は、二つのことを物語っています。ひとつは、大小を問わず発明がいかに困難かということです。もうひとつは、発明するよりも模倣するほうがはるかに易しいということです。模倣は技術習得の基本です。ある地方からべつの地方への伝播であれ、一つの世代から次の世代への伝承であれ、技術は模倣をとおして伝達されてゆきます。有用な発明はすみやかに伝播しひろく流布する蓋然性が高く、遠く離れた地方で同じ物がまったく独立に発明される蓋然性はきわめて低い。これがたいていの発明は一度しか起こらない理由です。」
 今回のノーベル賞でも、最初の発明・発見者は「特許」と言う秘密主義をとらなかった、オープンにしたからこそ、いろんな製品に活用され、人類のためになっている。知識とか教育とか、個人の利益にするものではない、と考えさせられる。
 「SURE」はこちら。http://www.groupsure.net/
(平野)