週刊 奥の院

週刊 奥の院 第73号 2010.9.24
 
突然ですが、私、毎週の公休日に当原稿を書いております。二重手間というか要領が悪いというか、ほぼ同内容の紙版もです。どちらかひとつでいいのではないかい? 自分でも思うのですが、紙がええと言う方もおられまして。休みとて他にすることもない寂しいおっさんですので、まあ××防止の一環ということです。で、紙版はどこが違うかというと、スケベ度が格段に。

■馬場マコト
『戦争と広告』 白水社 2400円+税
 戦時のプロパガンダの本はいろいろある。どんな人たちがどういう思いで制作していたのか。
 目次
一 三つの文章と三点の図版
二 プラトン社と岩田専太郎
三 「NIPPON」と名取洋之助
四 資生堂と福原信三
五 森永製菓と新井静一郎
六 報道技術研究会と山名文夫
七 情報局と林謙一、小山栄三
八 大政翼賛会花森安治
九 それぞれの戦後
 
 最初に文章と図版が三つずつ紹介される。①昭和初期、②戦中、③戦後。文・図とも、すべて同じ人物によるものだが、①③の文は甘いロマンティックな詩だし、絵はビアズリー風のペン画。②だけが異質だ。広告クリエーター・山名文夫(あやを)によるもの。山名は日本のグラフィックデザイナーの先駆者といえる人物。
書名のとおり、戦争には広告=商業美術の技量も総動員された。目次の社名・人名にそって紹介してみる。
 プラトン社は、戦前大阪にあった化粧品会社「クラブ化粧品」のPR誌『女学生画報』を発行するためにつくられた(クラブ化粧品の社長の弟が経営)。そのPR誌が好評で、続いて婦人文芸誌『女性』を創刊する。大正末期から昭和のモダニズムをリードした出版社だ。中心人物は山六郎。

山名は油絵を学び、同人誌で詩や絵を発表していた。プラトンの求人広告に応募、図案家となる。
 1923年の関東大震災で作家・画家や出版人は関西に疎開してきた。プラトン娯楽雑誌『苦楽』を立ち上げる。小山内薫や直木三十三(デビュー当初、毎年名の数字をふやした)が参加し、人気が定着したところで編集長に川口松太郎を迎える。岩田専太郎は講談雑誌で挿絵を描いていたが、京都の実家にいたところを、川口が引き入れる。川口の小説と岩田の挿絵は人気コンビになり、岩田は吉川英治新聞小説にも抜擢されるほど。山名の仕事は挿絵と広告。まだ学んでいる最中だった。
 25年プラトンは東京に進出する。この頃には山名の絵が表紙を飾り、若い女性の人気を集める。しかし大手・講談社が新雑誌『キング』を創刊して、74万部に達し、28年には150万部に。同年プラトンは雑誌を廃刊、閉鎖となる。直木、川口、岩田はそれぞれ活躍するが、山名の描くモダンな絵は女性に人気があっても、その作風に合う小説家とは出会えずにいた。画家としての独り立ちはできなかった。
 29年、大阪に戻っていた山名に資生堂から声がかかる。創業者の三男が福原信三で、洋風調剤薬局から美容・服飾を含めた化粧品メーカーに方向転換する最中だった。信三は薬学を修めたが、写真家であり、絵も描いた。山名は新しい時代の女性を美しく描いた。33年独立、写真家名取と出会い、海外向けグラフ誌『NIPPON』を創刊、山名の絵と名取の写真を合成した表紙は海外で好評だった。山名は名取の下で雑誌編集とグラビア構成を学んだ。
 36年、山名に資生堂から復帰要請があり、名取も快く了承。福原と協力して雑誌『花椿』を創刊し、消費者に企業イメージ・商品イメージを浸透させる。総天然色映画「資生堂式新美容術」を制作して全国を巡回させる。一方、戦争に傾斜する世の中で、山名の広告は「明らかに国体を軟弱にするもの」だった。
 37年盧溝橋事件から支那事変で、資生堂は石鹸など衛生用品が軍需物資として売り上げ急増。しかし、戦争によるマイナスは大きい。原料不足、容器不足、さらに化粧品にも物品税がかかり、企業活動は海外に移る。自慢の『花椿』も女性に軍事思想を普及する役目となる。山名の絵も許されない。それでも会社は軍需産業として躍進する。「山名の描く女性は不要だった」。
「時代のなかでしか商品が生き残れない以上、広告はその商品がいかに時代的かを訴求するしかない。それが広告というものの宿命にほかならない。商品に加担することは、時代に加担するということといつも一緒なのだ」(馬場)
 女を描けない山名は「時局に対応したことばを使った」。
高級品は「舶来品を凌駕した」、「舶来品を完全に制圧した」。歯磨きは「強い白い歯をつくる」。化粧水は「簡素の中の美しさ・健やかさ」。
内閣情報部が官庁広告に商業広告を取り入れる。プロパガンダ制作。新井静一郎は森永のデザイナー。37年、森永は「国民歌歌詞募集」広告で情報部に協力した。応募数5万7千作を越え、選ばれたのが「見よ、東海の空開けて〜」。40年、新井は森永の宣伝課員だけではなく、知り合いのデザイナー、写真家たちに声をかける。山名もそのひとり。そうして「報道技術研究会」発足。
林謙一は東京日日新聞記者。情報部に出向して『写真週報』をつくり、デパートでの写真展など「大衆啓発、世論形成」に貢献する。
小山栄三社会学者で、厚生省人口問題研究所の調査部長、「報研」の顧問になる。
大政翼賛会は40年結成、近衛首相が総裁になり、国民生活を戦争のために統制する。花森はその宣伝部所属で「報研」に仕事を依頼。
民間の精鋭広告マンたちは純粋に「公的な仕事に奉仕すべき」と考えた。自分たちがやらなければ、「めざといやつが、商売としてはじめないともかぎらない」と。
現役の広告マンである馬場が言う。
「時代の子である私は、必ず広告企画者として戦争コピーを書くだろう。確実に書く。そんな時代を迎えないためには、戦争をおこさないことしかない。どんな世の中になっても、戦争をおこさないこと、これだけを人類は意志しつづけるしかない」
 時代に合わせて、皆が懸命になる。「広告」自体の悲しい「宿命」なのだ。
有名文化人たちが登場するが、あいつが戦争犯罪者だとか、協力者だったとか糾弾する本ではない。
平和でないと、化粧もできない。作家も画家も表現が狭められる。
平和な時代でも、著名人たちよ、広告に出るのは注意せーよ。
 山名文夫の絵はネットで公開されているので検索してくださいな。

◇今週のもっと奥まで〜 ひさびさの2本立て
■サルワ・アル・ネイミ
『蜜の証拠』 講談社 1800円+税
 本書を教えてくれたのは同僚。先輩思いです。コレしか楽しみのない哀れなおっさんへの面倒=介護でもありましょう。ありがとう。
 著者はシリア生まれ、パリ在住の詩人・ジャーナリスト、生年不詳。本書、2007年レバノンアラビア語版が出版されたが、大多数のアラビア語圏で禁書に。08年のフランス語版から翻訳。語り手は著者と同じアラビア語母語とする図書館司書女性。アラブの古典性愛書に出会いプロ意識で読む。預言者の伝承、達人たちのエピソードに、語り手の思い出や現実が重なる。
 目次
一の扉 快楽の伴侶と性愛書について
二の扉 〈思想家〉そしてわたしの物語について
三の扉 セックス・アンド・ザ(ジ・アラビック)・シティ
四の扉 水について
五の扉 物語について
……
十一の扉 巧妙な手口について

 アラブのスケベもなかなかのもの。

吉田修一
『悪人』(上・下) 朝日文庫 各540円+税
 大ヒット映画の原作。朝日新聞連載、毎日出版文化賞大仏次郎賞。携帯サイトで出会う清水祐一と馬込光代。すぐに男女の関係になる。
 光代はデートが終わって祐一の車を見送ったとたん、「車を追いかけて走り出したい気分」になった。祐一は「一日でも会えないと、それで終わってしまいそうで恐ろしかった」。祐一は長崎から光代のいる佐賀に車を飛ばす。殺人を告白する。
 妻夫木君、絵里ちゃんになったつもりで、想像、想像……。

両書とも、引用は紙版で。
(平野)