週刊 奥の院
週刊 奥の院 第66号 2010.7.30
■鶴見俊輔
『もうろく帖』 SURE 2000円+税
鶴見さん米寿記念出版。検印「狸男」入り。文庫サイズ。
この版元さんは直接購読者優先出荷で、当店にようやく入りました。
本書、鶴見さんが座右に置く覚書ノートをそのまま出版したもの。1992年2月開始で現在12冊になる。その第1冊目、2003年3月まで。
目にとまった詩や文章を抜き書き(もちろん出典明記)や新聞の切り抜き、自身の新たな発想・着想をメモしている。
(92.2.3) 老眼になりて見えてくるもののみを
まことに見んとこころ定む 島田修二
(次のページ) もうろく帖のはじめに
私にはもうろくのけいこをする機会があった。
うつ病の期間三度。
そして今や本番。
書き下ろしの[後記]でも書いている。
「七十近くになって、私は、自分のもうろくに気がついた。これは深まるばかりで、抜け出るときはない。せめて、自分の今のもうろく度を自分で知る覚えをつけたいと思った」
■半藤一利 井上亮編
『いま戦争と平和を語る』 日本経済新聞出版社 1500円+税
日経記者が“親の世代”に当たる半藤さんに戦争の実体験を訊く。“次の世代”に引き継いでもらうため。
第1章 歴史は「人間学」 歴史というものはあくまで人間がつくるものです。日本人はどういうものなのか、危機に直面したときにどういう選択をするのか、どういうものの考え方をするかなどが昭和史からみえてくるんです。
第2章 わたくしの戦争体験
第3章 隅田川の青春
第4章 戦史にのめり込む
第5章 「日本のいちばん長い日」
第6章 勝利で堕落した日本人
第7章 昭和の失敗の教訓
第8章 作家たちの歴史観
第9章 戦争責任
第10章 平和主義こそ日本の機軸
■堀切和雄
『なぜ友は死に俺は生きたのか 戦中派たちが歩んだ戦後』 新潮社 1400円+税
著者は1960年生まれ、編集者、大学教員を経て劇作家。
父親は戦中派、無口で酔うと陽気に冗談を言っていた。そんな父を軽んじていた。それでも幼い頃よく耳にしたのは「俺はな、いつ死んでもいいんだ」のことば。高校生のとき戦争をめぐって正面衝突をした。「一方的な侵略戦争で、アジアの人々に災厄をもたらした……」と。父の意見はちがった、退かなかった。
自分が成長して、父が死んで、「その言葉と平静の静かな立ち居振る舞いとの組み合わせを『虚無感の表われ』と解釈するようになった」。
本書の始まりのフレーズは「善い人間はみな死んでしまった。すぐれたひとたちは(すぐれたひとたちこそが)みな、喪われてしまった」。このことばは「では俺はなぜ生き残ったのか? 生かされているのか」という問いに繋がる。戦中派の人たち、先輩や恩師に訊ねる。
Dさんは答える。
「そこにはなぜ、というのがないんだよ。偶然しかない」
敗戦で価値観は変わり、戦中派は「何かのために死ぬ」から「生きろ」と言われる。ひとりの人間の体験は戦中戦後と連続しているのだから、内面が単純に変わるわけがない。彼らは死を前にして必死に「死」について考えたはずだ。彼らの多くは押し黙ってきた。
著者は思う。
「あの覚悟(自らの死、負ければ日本はなくなるという思い)をした人たちを、軽んじて、否定してきたのがこの戦後だった。『馬鹿な戦争に行って、死んだり苦しんだ人たち』と、あの戦争を否定しようと焦るあまり、まとめて歴史の屑籠に放り込んで貶めたのだ」
「生き残った戦友たちには、分かっていたはずだ。だから、人に言っても無駄だ、解ってもらえない、と、押し黙ってしまった」
彼らの世代は去っていこうとしている。次の世代は残る。その責任は、「語られなかった言葉を歴史の中に読む」こと。
■笹幸恵
『「白紙召集」で散る 軍属たちのガダルカナル戦記』 新潮社 1600円+税
1974年生まれ、フリーライター、太平洋戦争をテーマに取材・執筆。遺骨収集活動も。
ソロモン諸島にあるガダルカナル島(以下「ガ島」)は日米にとって南太平洋の重要拠点で、大激戦の地。ここに軍人ではなく工員=軍属として「徴用」された人たちがいた。当時専門技術を持つ16歳以上50歳未満の男子は、職歴や技能を申告しておかなければならなかった。政府が徴用して、政府管理の工場などで働かせることができた。「徴兵」は赤紙と言われたが、「徴用」は白紙だった。ガ島には海軍設営隊として飛行場建設のため1351名が送られた。そもそもはミッドウェー島に向かうはずが、直前の海戦で連合艦隊が敗れ、ガ島に変更になった。
42年8月7日米軍の猛攻撃開始で日本軍全滅、その後も陸軍が続々と投入されるが、すべて壊滅。制空権・制海権とも米軍に握られ、食料・弾薬の補給不足でガ島は「餓島」の状態になった。43年2月日本軍撤退、戦死者5000名、15000名が餓死・病死と推定される。大本営発表は敗北・撤退ではなく「他に転進」だった。
その地獄の戦場で生き残った軍属が残したもうひとつの戦記。
■芸術新潮 8月号 新潮社 1400円(税込)
大特集 水木しげる その美の特質
・マンガを越えるマンガ ・水木しげる以前の「武良茂」 ・戦争と南の島の記憶
・梅原猛との対談 解説は呉智英。
(水)私にとって戦争ってのはね、激しくて、厳しくて、エラかったですね。生き残ったのは私ひとりなんです。10人の分隊のなかでひとり。中隊に帰ったら、「死ね」って言うわけですよ。全員戦死と本部に報告したのに、生きているのはまずいと。
(梅)それはやっぱり妖怪になりますな(笑)
(梅)水木さんは、どうして生き残られましたかな?
(水)私は人一倍、生きることが好きだったんです。
(梅)それだけの執念を持つというのは、まさに妖怪ですわ。
戦争体験、読書、子ども時代の遊び、さらに出雲王朝の話。梅原が出雲神話を題材にとリクエストしている。
呉がマンガ史における水木を位置づける。
「紙芝居、貸本、雑誌と、現代マンガの3世代をすべて経験。しかもいまも現役。絵の系統として完全にオリジナル。作品内容としては、『歴史の重層性』『マージナルな者への眼差し』……」
■小説新潮8月号 新潮社 860円(税込)
特集 時代小説夕涼み
人気連載陣に新作も登場。安住洋子「小石川診療余話 弟一話 春の雨」がうれしい。毎月でしょうか、隔月でも年数回でも楽しみに待ちます。
■須永朝彦
『天使』 国書刊行会 1500円+税
美少年=天使……そして悪魔?
吸血鬼、一角獣、同性愛……、耽美・頽廃の小説23篇。解説を千野帽子が書く。
「どの短篇も、氷菓子のように軽く素早く楽しい。そして厄介だ」
「美意識で固めた作品のなかに、意外なやんちゃさ――マニエリスムや、適量の下世話さ
さや、適量以上の悪ふざけや、なんなら意図されたチープささえも――が混入していたと、嗅覚で気づくころにはもう読み終わっている。その短さ・速さ・軽みに驚くところからこそ、一篇読後の感慨がはじまる」
「天使?」の一節。
「お前は年齢を教えてくれただけで、過去はもとより姓名さえ明かさず、私は勝手に爵(ジャック)と呼んでいる。廿歳を過ぎたお前は、髪を時々うるさそうに掻き上げ、ゴロワーズを唇の端に咥えて火を点ける一挙手にもエロスを湛え、私を誘(おび)く。そして、私が身を滅ぼしてふりそそぐ愛情には楚々として一顧だにもしないが、私は充ち足りている」
ここからは私事。だらだら書く。6月、当店の古本催しで「ロシナンテ」放出本の中から、本書の旧版を発見していた。92年刊行の「名著出版会」版で11篇収録、函入り、著者書名入り。中身は正字・旧かな。
その本にも元版があり、75年「コーべブックス」が出版した『天使』。これもいわゆる「普及版」で、同年春に「南柯書局」が出した限定155部の豪華本が初版になる。
「本文に漉程村紙を用い表紙総仔牛革装見返しには鳥ノ子雲母引を用い一装一版」(これも正字・旧かな)
さらに和紙、天金、「巻見返し・五段マウント・二色刷り」で限定番号が活字印刷。どういう物体なのか私には想像もつかない。印刷・製本すべて手づくりなのだろう。
「一装一版」なので、「普及版」は作品を1篇差しかえたほどの徹底ぶり。
「普及版」の広告を見つけた。「ちんき堂」棚にあった『別冊幻影城 創刊号』(95.9)の[表4]にあった。
『天使(改訂新版)』「呆れるばかりの才筆の翼にのった俊秀歌人須永朝彦が、吸血鬼パロディ小説に次いで妖異耽美の世界を渉猟する珠玉短篇小説集。予価二五〇〇円」
◇今週のもっと奥まで〜
■中上健次 『水の女』 講談社文芸文庫 1200円+税
カバージャケットの紹介文より。
「無頼の男の荒ぶる性と、流浪の女の哀しき性――。
獣のように性を貪りつくそうとする男たちに対し、ある女は、自らの過去を封印し、その性に溺れ、またある女は、儚い運命のなかにそれを溶かし込む。またある女は、男の性を弄ぶ。紀伊を舞台に、土俗的世界に生きる男女の性愛を真正面から描いた傑作短篇五作。緊密な弾力のある文体で性の陰翳と人間の内部の闇を描破した中上文学の極北」
紙版引用は表題作「水の女」より。まだ「闇市」や「遊郭」があった頃。豪腕作家の超剛球、しっかり受け止めよ。
(平野)