週刊 奥の院

週刊 奥の院 第56号 2010.5.21
◇出版
■ジェレミー・マーサー 『シェイクスピア&カンパニー書店の優しき日々』
河出書房新社 2600円+税 (以下S&C書店)
 著者はカナダ人ジャーナリスト、フランス・マルセイユ在住。S&C書店に数ヵ月滞在した経験を基に本書執筆。本国では新聞記者、社会部犯罪担当。凄惨な現場に慣れ、いつのまにか血腥い事件を探し回っていた。特ダネ合戦、恋人との別れ、酒浸り。犯罪者との接触で取材と倫理のギリギリの線を踏み越えることもあった。1999年末、ネタ元の人物を明かしてしまう失敗で、命からがら国外逃亡、パリに。
2000年1月のある日曜日、金も尽きかけた頃、街で雨に見舞われ本屋に飛び込む。カウンターの女性が「お茶会が始まる」と店の奥を指差す。奥では男性がスープを作っていた。ドアの上に「見知らぬ人に冷たくするな 変装した天使かもしれない」と書いてある。1階をうろうろしていると、別の男性が「ここは図書室、お茶会は上」と教えてくれる。
「室内には十人以上いたが、著しく風変わりといっていいような人間が大半」
「みな英語で支離滅裂な会話を、大声で興奮してまくしたてている」
 部屋の本は、どれも立派な装丁のハードカバー、どの部屋の本より値打ちがありそう。
 誰かが袖を引っ張る。白髪・長髪の男が「僕は詩人なんだ」。
 最初の女性がキッチンにいた。ジョージが変な人が好きで、彼が経営者で……、と説明してくれるが、さっぱり訳がわからない。ベッドがあちこちにある。
「ここはいったい何なの?」
「この店はシェルターのようなものなの。ジョージは来た人たちをただで泊めてあげるのよ」
 それまでに4万人がここに泊まったという。ジェレミーは翌日、次の泊まり客になる。
 さてS&C書店、パリにあるのに何故「シェイクスピア」なのか? 
 英語書籍の専門店。パリで暮らす芸術家・作家たちの安息所。創始者はシルヴィア・ビーチ、19世紀末アメリカ・ボルチモア生まれ。父が牧師で、14歳の時パリに。第一次大戦中は看護師、戦後(1919.11)書店を開業。英米人作家の溜まり場になる。フィッツジェラルドガートルード・スタインエズラ・パウンドらが本を借り、お茶を飲み、文学を論じた。“パリのアメリカ人”だけでなく、ジッドやモロワも会員になる。ヘミングウェイが『移動祝祭日』のなかでこの書店を描いている。本を買う金もない彼をシルヴィアは貸し出し文庫に入会させてくれた。ジョイスの『ユリシーズ』がスキャンダラスと出版を拒否された時、資金を調達したのは彼女。
 この元祖S&C書店、41年のナチス侵攻で閉店する。ナチの将校にジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』を売るのを拒否したという話がある。彼女は収容所で過ごす。44年8月、あのヘミングウェイパルチザンとともにパリに入り、書店を解放した。しかし、彼女は引退する。
 51年、アメリカ人作家で世界放浪後パリに住んだ、ジョージ・ホイットマンが元の場所の近くで書店を始める。「ル・ミストラル」。マルクス主義者であった彼は、泊まる場所のない友人のためにベッドを用意し、腹をすかせた客のためにスープを作り、本を買えない人のために図書館を運営した。シルヴィアとも親交して、62年彼女がなくなると蔵書を買い取っている。64年、シェイクスピア生誕400年の年に店名を「シェイクスピア&カンパニー」と改めた。
 名は文学的だが、行動は政治的・社会的。反体制派や作家に宿を提供し、ヴェトナム戦争抗議集会を主催し続けた。店は成長し、ベッドも増えた。「セーヌ左岸にはただで泊まれる奇妙な本屋があるという噂が世界の隅々まで広まった」。長い歴史のなかで、多くの作家たちの書簡やサイン、初版本、ノート、朗読会のポスターなど貴重な資料が残る。
 公式ソング。
「冷たい雨の夜に パリの街にやってきて シェイクスピア書店をみつけたら ほっとするかもしれません そこはたいそう親切で賢明な モットーがあるのです 見知らぬ人に冷たくするな 変装した天使かもしれないから」
 「河出」は1974年にシルヴィアの著書『シェイクスピア&カンパニー書店』を出版している(現在品切)。

大橋鎭子 『「暮しの手帖」とわたし』 暮しの手帖社 1714円+税
大橋は同社で、かつて社長・編集者・モデルを兼任した。現在は社主、90歳。
暮しの手帖」といえば「花森安治」の名がまず浮かぶが、彼だけの雑誌ではなかった。
大橋は女学校を出て日本興業銀行に3年勤めた後、「日本読書新聞」に。1945年10月、編集長に「父母のために収入を増やしたい、出版をしたい」と相談する。花森を紹介される。大橋25歳、花森34歳。
花森が言う。
「君はどんな本をつくりたいか、まだ、ぼくは知らないが、ひとつ約束してほしいことがある。それは、もう二度とこんな恐ろしい戦争をしないような世の中にしていくためのものを作りたいということだ」
「国は軍国主義一色になり、誰もかれもが、なだれをうって戦争に突っ込んでいったのは、ひとりひとりが、自分の暮らしを大切にしなかったからだと思う。もしみんなに、あったかい家庭があったなら、戦争にならなかったと思う」
実はこの時、花森は友人たちと広告会社を設立する準備をしていた。それから抜けた。
銀座に事務所、資金を出してくれる人もいて、大橋社長、花森編集長、大橋の姉妹が手伝い、「衣裳研究所」がスタートした。着物で服を作る、洋裁を勉強しなくても作れる「スタイルブック」を創刊した。
48年9月、新しい雑誌を創刊。「美しい暮しの手帖 第一号 新しい婦人雑誌」。今も【表2】に掲げられている「これはあなたの手帖です。いろいろのことがここには書きつけてある。……これはあなたの暮しの手帖です」の文言が巻頭を飾る。執筆者は、佐多稲子、中里恒子、森田たま、田宮虎彦川端康成戸板康二ら。1万部発行して、取次に7000部任せる。残りをリュックに詰め直接本屋をまわる。なかなか売れず資金が底をつく。三号で倒産という事態。興銀時代の伝手で20万円を借りることができた。
同誌が広告に頼らないことは有名だが、それ以外にも編集・営業の姿勢は一貫している。執筆を断わられても何度も訪ね原稿を書いてもらう。戦後すぐの皇族の暮しを報道するのに昭和天皇の第一皇女に原稿を依頼するが、花森は面白くないと書き直しさせる。普通の家庭にも飛び込みで協力を依頼する。商品テストや料理の試作も続いている。
四号が18000部、五号25000部、六号45000部と増えて、バックナンバーも増刷を重ね長く販売した。どの号も10万部を超えた。
人が書き、作り、販売する雑誌。人が読むため、考えるための雑誌。昔はみんなそうだったじゃないですか。いつの頃からか、広告だらけになって、不況になったらさようなら、の雑誌ばかりになってしまった。遅かれ早かれ、みんな電子情報になってしまうんでしょうが、紙でもいい本・雑誌はもうチョイ頑張り長生きしましょう。

◇大阪本
橋爪紳也 『絵はがきで読む大大阪』 創元社 1600円+税
大阪都”構想とは関係ござらん。
大正から昭和の始めにかけて、大阪が人口でも商工業でも東京を圧倒して、大阪の人たちが自信と誇りを持って「大大阪」と呼んだ。絵はがきにも「水の都 大大阪の美観」「文化の都 大大阪の偉観」「殷賑を極むる大大阪の繁華」「生産の中心 大大阪の壮観」などのタイトルがついている。 
1925年、世界第6位の人口、日本最大の都市になった。行政は、周辺の郡部を編入し、街路拡張、地下鉄開通、港湾整備など都市発展の基礎を築いた。大大阪のイメージは文化芸術の分野でも広がっていく。いわゆる関西の「モダニズム」文化の興隆だ。
絵はがきに残る「大大阪」の歴史を振り返る。

◇小説
京極夏彦 『死ねばいいのに』 講談社 1700円+税
私、怖いのはダメなので、京極モノはほとんど素通り。お笑いものは時々読む。
本作品は「小説現代」で読んでいた。
アサミという女性が殺される。数回あっただけの知り合いというケンヤが彼女の関係者に訊き込む。この男、無職、バイトもすぐクビになる。態度悪いし、口の利き方もなっていない。どう見てもマトモな青年とは言えない。本人が一番わかっている。
彼女の上司、隣人、ヒモ、母親、刑事に、ネチネチと質問し、追い込み、彼らの嘘や秘密を暴く。そして言う。
「死ねばいいのに」
新しい探偵小説かと思っていたら……。
雑誌は5話まで。その最後で「殺したのは俺」と告白する。
弁護士が面会。職務に忠実に、量刑や情状酌量について対策を話す。被害者は悲しい境遇で強い自殺願望があり、加害者は自殺に協力したという筋書きにしたい。
ケンヤは、「悪いことをした自覚はある」「罪を軽くすることに意味はない」と。
弁護士は自分の裁判での敗北や正義について語るが、ケンヤに「あんたの主張が間違ってたか、弁護のし方が悪かったかどっちかじゃねーの?」と論破される。
「あんたさ、正義の味方だよ。だけど、あんたはやっぱり悔しいだけだ」
アサミ殺害の真相は? アサミは、ヘンテコな人生だけど幸せだ、このまま幸せでいたいけどどうしたらいいだろう、とケンヤに尋ねる。
――死ねばいいのに。
――そうね。死にたい。
幸せのまま死にたい、と。
ケンヤは自分のことも「死ねばいいのに」と思っているのか。
本書、電子書籍配信する。人気作家・固定ファンがかなりいる人の作品はそうなっていくのでしょう。

◇今週のもっと奥まで〜
早川聞多上智大学国文女学生の会 
『現代語訳 春画』 新人物往来社 1800円+税
上智の女子学生と春画を読む、それだけで興奮してしまう。
先生の注意。
「本書で私が試みる現代語訳によって、浮世絵春画の世界が単なる煽情的なポルノなどではなく、性に対する形式的な規定や規制に囚われず、性をおほらかに肯定する人間的な感覚に根差しつつ、性にまつはるさまざまな情景を描き出した世界であることを少しでも理解してもらへれば幸ひです」
わかりましたか。
私は劣等生なので、引用は特にHなのを。紙版で。
先生の言葉で印象深いところを。
「男女の和合は五穀豊穣、子孫繁栄の象徴で、おめでたいこと。ポルノは性欲を刺激するイメージが強く、春画にもそういうシーンはあるが、それは完全に笑いの対象。多くは性が持っている楽しみがそのまま幸福、安寧につながっていく元だと考えられている」
(平野)