週刊奥の院 第31号 11.20発行

 休日に妻と心斎橋をブラブラ。老舗の姿は少なく、ケータイに金券に下着屋にチェーンの喫茶店ばかり。けど、さすが大阪、人出は多い。久しぶりにワンカップ持った酔っ払いのおっちゃんを見た。数時間後には、私も酔っ払って歩いておった。
◇イベント案内
1.愛媛県上島町(かみじま)活性化キャンペーン 11/21(土)〜23(月)
昨年好評をいただいた上島町の観光&特産品PR。青いレモンや皮の薄いみかんなど。ご試食のうえお求めください。上島町は瀬戸内海の18の島々からなる町。07年イメージキャラクター「上島四兄弟」を、神戸のイラストレーターWAKKUNNが描いたことからご縁ができました。
2.南陀楼綾繁一箱古本市の歩きかた』(光文社新書・860円+税)刊行記念トークショー「ブックイベントのたのしみ」12/27(土)15時〜 2Fシースペースにて。 参加費500円。ゲストがすごい。詳細はHP並びにブログ[11/18]をご覧ください。
3.ちょうどその時は……「第6回海文堂の古本市」12/23(水)〜1/11(月)(但し1/1・2は休み) 後日詳報。
 で、南陀楼さんの本を紹介。フリーライターで編集者、書物愛好誌「smus」同人、全国を席巻(おおげさ)している「一箱古本市」「ブックストリート」の仕掛け人。この人の存在は海文堂にとっても大きな支えであります。突然ですが、私、超個人的に彼のパートナーU女史の熱烈ファンです。さて、南陀楼さんのことば。ブックイベントはプロだけでなく、「一般の人たちのアイデア・力によって、もっと本を楽しく、自由なものにできる」。「紋切り型に『読書離れ』や『出版危機』を叫ぶのではなく、もっと日常的な場所から、本との付き合い方を見直してみたい」。南陀楼さん、全国縦断(またおおげさ)イベントを敢行中です。
内田樹ミニフェア 新刊『日本辺境論』(新潮新書・740円+税)
 内田さんの新刊、今年はこれだけ。昨年暮れに単行本3冊、今年は既刊本の文庫化で、そう言われれば、そうだ。
 内田「日本論」。日本人ほど「日本論」が好きな人種はいないそうで、大量に書かれ、読まれている。「決定版」がなく、同じことを繰り返している。そのことが「日本人の宿命」だから。実は、既に答えは出ている。「日本人はすなわち辺境人」。例えば外国の地図、日本はいつも端っこ、中心になることはない。
 日本の周縁性・辺境性から日本文化を語る人はこれまでもいた。しかし、放っておくと私たちの世界観が混濁してくるので繰り返して確認しておく必要があると、内田さんは毎日の掃除のようにこの作業を始める。
 日本固有の文化と美しい民族性を誇るのは結構なことだが、それほど立派なら「どこの国のどの国民も思いついたことがない種類の、真にオリジナルな、そして同時に真に普遍的な、国際社会の行く末をあかあかと照らし出すような理念やプログラムが日本人によって提言されていいはず」だが、ない。「他の国が『こんなこと』をしているのだから、うちも対抗上同じことをすべき」と言うだけ。ここが日本の「辺境」としての限界。
「世界標準に準拠してふるまうことはできるが、世界標準を新たに設定することができない」。外部に上位者、保証人を求めてしまう。これこそが「辺境」の発想で、「私たちの血肉となっていて、どうすることもできない」。だって「1500年前からそうなんですから」。「こうなったらとことん辺境で行こう」と提案する。
 「辺境」とは「中華」に対する概念。中心に「中華皇帝」がいて、四方に「王化」の光が広がる。「王土」から遠く離れると「中華」に朝貢する「蕃国」――「東夷」「西戎」「南蛮」「北狄」。その先は「化外」。日本列島は1800年ほど前に「東夷」と格付けするこの世界観を受け容れた。「列島の政治意識は辺境民としての自意識から出発した」。
 聖徳太子が「日出づる処の天子」の書で「隋」と対等外交を目指したといわれるが、時のトップが外交ルールを知らないはずがない。これは高度な外交戦略で、知らないふりをしたと考えられる。こちらは「辺境」で情報に疎いので、と言い訳しながら好きなことをした。足利幕府も徳川幕府もいろいろな称号を名乗り、外国に対して誰が日本の国家元首なのかを気にしていなかった。「国際関係における微妙な(無意識な)『ふまじめさ』」、これこそが「辺境の手柄」。
 1945年の敗戦後、日本人はみごとな歴史的成功を収めている。憲法9条自衛隊の「矛盾」について「思考停止」することで、自己利益の追求に専心した。日本の軍事的無力化と自衛隊の軍事的利用は、アメリカにとっては矛盾しない。「日本はアメリカの属国」。日本はむりやりに「矛盾」と読みかえることで聖徳太子以来の「知らないふり」をして「利」を取った。「日本を『ふつうの国』にしようと空しく努力するより(無理なんですから)、こんな変わった国の人間しかできないことがあるとしたら、それを考える方がいい」。
 で、私たちは今後、何か大きな問題が起きた時どうしたらいいのか? 
 日本人は「辺境人」だから、このようにしかできないのでこれで良しとしてください、と国際社会に申し上げればいいのではないでしょうか。格好良く言えば、「宣言」ですか。
◇ちょっとムリある「神戸の本」
 ■安住洋子『いさご波』(新潮社・1500円+税)
 時代小説。安住さんは尼崎出身。04年『しずり雪』(小学館文庫)でデビュー。江戸庶民の哀歓を描いてきた。今回は武士の生きざま、5編を収録。
 赤穂浪士ながら討ち入りに加わらなかった父を思い、士官の際に恩を受けた上司と対決。
 上意討ちの役目に加えられた下級武士の思い。
 他3編は三田と綾部の九鬼家が舞台。御家騒動で分家させられ、鳥羽から移される。
 別れ別れになった親友の不可解な急死の謎。
 命を救った侍が部屋住みだったことから起きる事件。
 武士を捨て医者になった父の友に師事する若者。
 武士のつらさを受け容れ死んでいく者、乗り越え新たな希望を見い出す者。
 各作品に「波」の名がつけられる。「いさごの波」とは、「娑婆」の文字の上の部分「沙の波」=現世のこと。
 ここから無理矢理「神戸」に。
 九鬼家の人々は近代神戸の発展に大きく寄与した。三田藩藩主・隆義(のち子爵)は、蘭学者・川本幸民や白洲退蔵(白洲次郎の祖父)ら人材を登用し、藩政を改革した。維新後は白洲、小寺泰次郎(のち小寺財閥)を擁して商社「志摩三商」を設立、不動産・金融で神戸都市開発に関わった。また、宣教師と親交して、教会を建てる。家臣で牧師になった人も多い。神戸女学院創立にも援助をした。小寺の長男・謙吉は国際法学者で、衆議院議員三田学園を創立、戦後初の神戸市長。綾部藩の当主・隆一は福澤諭吉に学び、文部省で活躍。フェノロサ岡倉天心と協力して美術研究・文化財保護に努めた。哲学の九鬼周造は四男。九鬼の士族たちは文化・教育分野でも貢献している。
◇今週のもっと奥まで〜
■領家高子『桜姫雪文章』(角川学芸出版・2000円+税)
 京の公家・吉田家の桜姫、鎌倉の名僧・清玄、その双子の弟で悪漢・惣太。遠い昔から深い縁で結ばれた3人の、時空を超えた愛と憎しみの物語。例によって、あとは紙版でお読みくだされたく。紙版も、余計なところばかりで、肝心なシーンを書けなかった。本読んでちょうだい。
(平野)