人文社会&神戸の本

山上の蜘蛛


人文社会&神戸の本
■『山上の蜘蛛 神戸モダニズムと海港都市ノート』季村敏夫/みずのわ出版 2500円+税
 詩人季村敏夫の問題意識は、「人間の危機」。現代社会の人間観・人間性の破壊状態を憂う。
 「『愛したい、誰かに愛されたい』、違う、「殺したい、誰でもいいから」、極限に歪んだ精神に対峙しうる、どのような言葉、いかなる概念、発想を持っているのかと」。
 こう見据えたうえで、1960年創刊の同人誌『蜘蛛』の君本昌久を軸に、神戸の文学運動をたどる。その活動の中心は、「神戸詩史の作成」と「神戸モダニズム」の検証だ。
 「詩史」では、2枚の年表が残る。「神戸戦後詩年表」(『神戸の詩人たち』所収・神戸新聞出版センター・1984)と「兵庫・神戸=明治・大正・昭和詩年表」(『兵庫の詩人たち』所収・同社・1985)。神戸・姫路を中心に刊行された181冊の詩誌が網羅される。
 詩史で重要なのが、1940年の「神戸詩人事件」。14人の詩人が左翼文化人として拘禁された思想弾圧事件。でっち上げ、密告、拷問、転向・・・・・・、事件の全貌はいまだ明らかではない。『蜘蛛』グループは、この事件に関心を持ち続けた。現代詩人である季村も、「権力による文学の蹂躙」、「過去ではなく現在である」と認識する。
 「神戸詩人事件という、二度とあってはならないおもいを君本昌久は手放すことがなかった。時間の経過とともに死んでいく事件の関係者と、遅れてやってくる者との記憶の媒介人という橋頭堡の役割を自らに命じた」
 「神戸モダニズム」について、君本が書いている。
 「・・・・・・神戸モダニズムというものはないし、ないものについてとやかくいうのはおかしいのであるが、神戸の詩の風土は、歳月にさらされていつの間にか〈神戸モダニズム〉という言葉が生まれ、〈神戸モダニズム〉でチェックされて詩人や詩誌が取り上げられていたのである。それはいうまでもなく戦前の『神戸詩人』及びその周辺にむらがっていた詩誌と詩人を指していた」
 「神戸モダニズム」の代表のようにいわれる竹中郁が語っている。
 「モダニズムといわれるのがきらいやねんけど。(中略)たかが東洋の一画の田舎っぽい植民地趣味やからな。この場で神戸モダニズムというのを誰かがクリエイトしたわけでもないでしょう」
 季村も書く。
 「お洒落でファッショナブルな街だが、こういう言い方は、神戸より銀座の方がはるかにふさわしい。(中略)お洒落でモダンというようなレッテルを外側から貼られることを、住民自身もなかば肯定してきたが、モダン、モダニズム、近代、近代主義、近代化とは何であるかという問いにきっちり応答しないまま今日を迎えているのではあるまいか」
 「お洒落やファッショナブルという外皮はまず剥ぎとり、そこからたち現れる、血と臭いの記憶に向かわねばならないだろう」
 モダニズムは、一部の詩人だけでなく多くの文学グループや社会科学研究会、演劇グループ、キリスト教社会主義アナーキズムコミュニズムなどと共時性で論じるべきと。
 本書には、著者と編集者の頑固なまでの編集方針がある。本文中の註のほか、補註1「『兵庫文学雑誌事典――詩誌及関連雑誌(仮称)作成のために』は67ページ。さらに詳細な人名索引も。
 さて、書名の「山上の蜘蛛」とは? 私が勝手に推測すると、長田区高取山に住んでいた詩人のことか。
(平野)




人文社会&神戸の本
■『山上の蜘蛛 神戸モダニズムと海港都市ノート』季村敏夫/みずのわ出版 2500円+税
 詩人季村敏夫の問題意識は、「人間の危機」。現代社会の人間観・人間性の破壊状態を憂う。
 「『愛したい、誰かに愛されたい』、違う、「殺したい、誰でもいいから」、極限に歪んだ精神に対峙しうる、どのような言葉、いかなる概念、発想を持っているのかと」。
 こう見据えたうえで、1960年創刊の同人誌『蜘蛛』の君本昌久を軸に、神戸の文学運動をたどる。その活動の中心は、「神戸詩史の作成」と「神戸モダニズム」の検証だ。
 「詩史」では、2枚の年表が残る。「神戸戦後詩年表」(『神戸の詩人たち』所収・神戸新聞出版センター・1984)と「兵庫・神戸=明治・大正・昭和詩年表」(『兵庫の詩人たち』所収・同社・1985)。神戸・姫路を中心に刊行された181冊の詩誌が網羅される。
 詩史で重要なのが、1940年の「神戸詩人事件」。14人の詩人が左翼文化人として拘禁された思想弾圧事件。でっち上げ、密告、拷問、転向・・・・・・、事件の全貌はいまだ明らかではない。『蜘蛛』グループは、この事件に関心を持ち続けた。現代詩人である季村も、「権力による文学の蹂躙」、「過去ではなく現在である」と認識する。
 「神戸詩人事件という、二度とあってはならないおもいを君本昌久は手放すことがなかった。時間の経過とともに死んでいく事件の関係者と、遅れてやってくる者との記憶の媒介人という橋頭堡の役割を自らに命じた」
 「神戸モダニズム」について、君本が書いている。
 「・・・・・・神戸モダニズムというものはないし、ないものについてとやかくいうのはおかしいのであるが、神戸の詩の風土は、歳月にさらされていつの間にか〈神戸モダニズム〉という言葉が生まれ、〈神戸モダニズム〉でチェックされて詩人や詩誌が取り上げられていたのである。それはいうまでもなく戦前の『神戸詩人』及びその周辺にむらがっていた詩誌と詩人を指していた」
 「神戸モダニズム」の代表のようにいわれる竹中郁が語っている。
 「モダニズムといわれるのがきらいやねんけど。(中略)たかが東洋の一画の田舎っぽい植民地趣味やからな。この場で神戸モダニズムというのを誰かがクリエイトしたわけでもないでしょう」
 季村も書く。
 「お洒落でファッショナブルな街だが、こういう言い方は、神戸より銀座の方がはるかにふさわしい。(中略)お洒落でモダンというようなレッテルを外側から貼られることを、住民自身もなかば肯定してきたが、モダン、モダニズム、近代、近代主義、近代化とは何であるかという問いにきっちり応答しないまま今日を迎えているのではあるまいか」
 「お洒落やファッショナブルという外皮はまず剥ぎとり、そこからたち現れる、血と臭いの記憶に向かわねばならないだろう」
 モダニズムは、一部の詩人だけでなく多くの文学グループや社会科学研究会、演劇グループ、キリスト教社会主義アナーキズムコミュニズムなどと共時性で論じるべきと。
 本書には、著者と編集者の頑固なまでの編集方針がある。本文中の註のほか、補註1「『兵庫文学雑誌事典――詩誌及関連雑誌(仮称)作成のために』は67ページ。さらに詳細な人名索引も。
 さて、書名の「山上の蜘蛛」とは? 私が勝手に推測すると、長田区高取山に住んでいた詩人のことか。
(平野)