kaibundo2009-05-25

 ■『心霊写真 メディアとスピリチュアル』 ジョン・ハーヴェイ 松田和也訳 / 青土社 2400円+税
 著者はウェールズ大学の美術史家。
 小・中学生を喜ばせる怪談本ではない。
 「1860年代以後に作られた、幽霊・元素霊(エレメンタル)・天使および人体の心霊的流出物を撮影したと主張する写真の研究書」。真贋論争をするのではなく、宗教、科学、芸術の観点から「心霊写真」を読み解く――宗教美術の伝統を受け継ぐものであること、真贋論争の跡、芸術としての成果と可能性。
 以下、訳者の解説を参照。
 古来、宗教の役割は、人は何のために生きるのか、どこから来てどこへ行くのか、死とは、死後の世界は……、素朴な疑問・不安に答えるものだった。19世紀の合理主義、産業革命、資本主義、共産主義、さらに進化論の影響でその役割は凋落する。
 そんな時、出現したのが「心霊主義」。1848年ニューヨーク郊外の姉妹が霊との交信に成功した、と主張。
 「霊の実在、すなわち永遠の死後生の存在という観念は、神無き時代の大衆に新たな生きる意味と希望をもたらした」
 この時代に夥しい数の「心霊写真」も製作された。最愛の死者がそばにいる。大衆は熱狂する。
 「心霊写真」は「写しだされた生者と死者の悲嘆と哀惜、諦念と期待、憧憬と情愛の『物質化』に他ならない」
 その後、ニセモノと暴かれて衰退するが、20世紀の2度の世界戦争でまた息を吹き返す。「大衆にとって心霊写真が如何なる意味を持つものであったかを端的に物語っている」。
 カメラという科学機器が宗教・オカルトの領域にある。写真を見る者の思い・欲望・呪詛を受け止めている。21世紀においても「写真は呪具としての役割」を持つ。
 ケータイでつながっている現代人もその呪術と深く関わっている。

 
 ■『飴と飴売りの文化史』 牛嶋英俊 / 弦書房 2000+税
 地域史研究家で福岡県文化財保護委員。実家が祖父の代から和菓子屋で、祖父の妹も町内で飴を作っていた。
 1714年、福岡県遠賀郡の八所神社の裏山で古墳が発見された記録がある。かつて著者はこの古墳について論文をまとめているのだが、その過程で、地域史『遠賀郡誌』に出土品「銅の唐団扇」の記述を発見する。明治10年頃、行商の飴売りが神社に来て飴と古金属の交換を申し出、使用人が勝手に「唐団扇」を渡してしまった。飴は木屋瀬(こやのせ・北九州市西端)の「ピータラ飴」。「唐団扇」の行方も気になるが、飴売りが古金と交換していたことや、どんな飴か、飴売りはどこから来たのかなど興味を持つ。2000年に木屋瀬記念館が開館、そこで飴屋業者間の取り決め「商売神文(しんもん)」の展示を見て、再考することになった。
 本書の帯から。
 「うまい」の原点は「あまい」
 ピータラ飴、飴売り渡世、飴売りが笛を吹く話、飴をつくる村など豊富な資料と絵図をもとに、古代中世の水飴から現代のトレハロースまで《国民的伝統甘味料》として様々に用いられてきた飴の歴史をひもとく。


(平野)