週刊 奥の院 9.29
■ 『野呂邦暢 小説集成2 日が沈むのを』 文遊社 3200円+税
表題作他、「不意の客」「鳥たちの河口」など短篇を集める。単行本初収録の「赤い舟・黒い馬」「柳の冠」も。全10篇。
「日が沈むのを」
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《日が沈むのを見るのはいや……》
黒人の唄はわたしを惹きつける。だれでも知っているブルースの一節。セントルイスだったかしら、それともニューオリンズ、よくわからない。いつもこの二つの街の名をとりちがえてしまう。……(略)
歌手はまず、わたしはいや、と歌ってひと息つき、それから聴きとりにくいほどの低いしわがれ声で、見るのは、と歌い、日が沈むのを、と続ける。そうだろうか、わたしには彼がこう歌っているように聞える。
《日が沈むのを見るのは好き》と。
わたしは夕日を見ている。……
恋人が去ってしまい、女性は自殺未遂。今、部屋で椅子にすわって夕日を見ている。会社ではストライキ中に勤務についたことで組合から非難され、職を失うかもしれない。
わたしにはだれもいない。
そう思うとき、しかし自分にはこの部屋があり、部屋廊下で椅子にくつろいで沈む日を見ることができると考えた。
わたしには夕日がある、その思いは慰め以上のものだ。……
かねて行ってみたいと思っていた谷間の集落を訪れた。段々畑、夏は枇杷、冬は蜜柑、渓流に沿って古い屋敷が並ぶ。町の燈火が砂金の粒のよう。しかし、
期待? 何に対する? ……それをわたしは説明することができない。わたしは谷間のひっそりとした部落に何を求めていたのだろう。渓流のほとりのまばらな家々が、わたしの何に応えようというのだろう。
(不確かなぼんやりとした期待は疲労と落胆に)
何もかもそっとして近寄らないでおくのが一番だ、遠くから見えるものは遠くのものとして距離を保っておくことだ、と。
彼のこと、病院での痛みのこと、会社帰りに見たイタリア映画のことを思い出す。
それに組合での糾弾。会社を辞めるのが最善の道と思う。
仕事をすることはやさしい。生きることもやさしい。なぜ、生活はやさしいといわないのか。わたしは人生を涙の谷などとは決して思わない。
(高校の教師は「人生は失意の総和だ」と説いた。反対はしないが、人生の慰労と歓びについても教えてもらいたかった)
あの夕日、あれはわたしのものだ。
自分に無関心である世界に対して、自分も無関心を装えばいいと悟る。恋人のことは忘れればよい。幸福を与えない世界には自分も冷静にそっけなくふるまえばいい。今まで見えなかった微妙な事物が目に映るようになる。
たとえばこの夕日である。
夕日を見続ける。夕日は沈む。しばらくぼんやり夕景をながめている。隣の庭の藤棚のかげに人の姿。
誰? 知っている人に似ている。彼?
目の迷い? 幻影? 現実? ……
哀しい女性の心理。
日は沈んでも、明日また昇る。【海】はただ沈むのみ。
◇ うみふみ書店日記
9月28日 土曜
休み。午後からJ堂に行ってナオコーラさんの新刊『昼田とハッコウ』(講談社)をゲットして、店。
レジはずっと長蛇の列。閉店の19時になっても並んでくださる。ありがとうございます。
白カバー僅少で、お一人一枚でも皆さん納得してくださいます。ごめんなさい。
厚かましく、ついでにお願いです。小銭、特に100円玉が不足しています。ほんまにほんまに申し訳ありません。100円玉ご用意をお願いします。
「くとうてん」出店。
青山さん描く【海】透視絵図。限定200部。
「ほんまに」「港町神戸鳥瞰図」に「荒蝦夷」。
閉店後、「くとうてん」&「ほんまに」で呑み会。
重ね重ねすみません。自慢です。GFたちから私だけプレゼントをいただきました。ほんまにごめんなさい。本はKちゃんお手製『海と名のつく本屋さん』、限定一部。世界中の男性に謝ります。
(平野)